遍路の起点に決まりはない

 四国八十八ヶ所霊場を巡礼するお遍路さんは、どこからスタートするのか? これには、決まったルールはありません。どこの札所から始めてもいいし、どのような順番で札所を回ってもかまいません。また、四国八十八ヶ所霊場のすべてを巡礼したあとに、弘法大師が入定した高野山の奥ノ院に御礼参りに行くことも定着しているようです。

 もっとも一般的なお遍路さんのルートは、徳島県鳴門市の第1番札所・霊山寺からスタートして、札所の番号順に高知県から愛媛県を通り、香川県さぬき市の第88番札所・大窪寺でフィニッシュになります。そのあとお礼参りとして第1番札所・霊山寺に参拝する人もいます。こうして時計回りで札所の番号順で進む巡礼は「順打ち」と呼ばれています。

 「打つ」というのは、かつて、お遍路さんが参拝のしるしとしてお寺にお札を打ちつけたことに由来する言い方で、四国遍路がお寺をお参りすることを「打つ」と呼ぶのが習わしになっています。いまは参拝するときに、自分の名前や出身地を書き込んだ納札(おさめふだ)をお寺に納めますが、これはかつてお札を打ちつけた名残だそうです。

 時計回りで四国八十八ヶ所を巡礼する「順打ち」に対して、第88番札所・大窪寺から反時計回りで進む巡拝を「逆打ち」と呼びます。逆打ちは遍路道の道標や案内が順打ちに比べてかなり少ないので、道に迷いやすくて難しいと言われています。ただ、難しい分だけに逆打ちは功徳を積むことができるという考え方があります。特に4年に1度のうるう年に逆打ちで巡礼すると、通常よりも3倍の功徳を積むことができると言われています。最近では2016年(平成28年)がうるう年だったので、逆打ちを選ぶお遍路さんが一気に増えました。旅行会社も逆打ちの功徳をアピールしたバスツアーを展開して盛り上げていました。

第10番札所・切幡寺には、歩き姿の弘法大師像が立っている。わらじ履きにゴザ?を背負い、いまにも歩き出しそうだ

 なぜ「逆打ち」だと功徳を多く積むことになるのか、いろいろな通説があるようですが、そのひとつに市井の人々が四国八十八ヶ所霊場を巡礼する始まりになったともいわれる衛門三郎の故事があります。いまの愛媛県で羽振りのいい長者だった衛門三郎は一夜の宿を求めた弘法大師をつれなく追い払ったため、子供が次々と死亡し、家も没落してしまいます。後悔した衛門三郎は弘法大師に謝って許してもらおうと四国遍路の旅に出ますが、順打ちで何回も巡礼を続けても弘法大師に会えませんでした。そこで、難しいとされる逆打ちに切り替えて巡礼したところ、第12番札所・焼山寺近くのいま杖杉庵(じょうしんあん)がある場所で、ついに弘法大師に会うことができたというストーリーです。ちなみに杖杉庵には衛門三郎が弘法大師に会った姿の像が建てられています。また、道後温泉近くの第51番札所・石手寺は衛門三郎ゆかりのお寺です。

 札所の順番をあまり気にしないで四国八十八ヶ所霊場を回るお遍路さんもいます。こうした巡礼方法は「乱れ打ち」と呼ばれ、四国内や中国地方など八十八ヶ所霊場に行きやすい場所にお住いの方に多いようです。私がお会いした愛媛県のご夫婦は、休日のタイミングや天気などをみながら行き先の札所を選び、マイカーで巡礼しているとのことでした。

 会社勤めを続けながら定期的にお遍路さんを続けているひとに多いのが、「区切り打ち」という巡礼方法です。例えば、5日間の休暇を使って第1番札所・霊山寺から第19番札所・立江寺まで歩いて回り、第20番札所・鶴林寺から先は次回に、といったかたちです。区切り打ちを繰り返して四国八十八ヶ所霊場を巡礼する場合、年4回くらい四国に足を運び、すべての札所を回るために2~3年かけるひとも珍しくないようです。

 こうした区切り打ちに対して、四国八十八ヶ所霊場のすべてを一気に巡礼する方法は「通し打ち」と呼ばれています。「区切り打ち」「通し打ち」という呼び方はバスツアーによるバス遍路や、マイカーやレンタカーで移動するクルマ遍路にも使われています。

 私は、区切り打ちを何度も繰り返している30代から50代の会社員に何人か会いましたが、「歩き遍路として四国八十八ヶ所霊場をもう何回も回っているのに、自分は区切り打ちしかやったことがない。いつか通し打ちをしてみたい」と話すお遍路さんが多かったように思います。こうした区切り打ちを繰り返すお遍路さんは、四国八十八ヶ所霊場の魅力にハマった典型的なタイプでもあり、「お四国病」と言われることもあります。

 四国八十八ヶ所霊場の巡礼はどこから始めてもかまわないので、お四国病にかかったお遍路さんの場合、自分がなじみになっている遍路宿や札所から新たな遍路旅をスタートさせることが多いそうです。遍路宿によっては、その宿から新たな巡礼をスタートさせるお遍路さんの門出を祝ってくれたり、区切り打ちを繰り返しながら何年もかかって再び戻ってきたお遍路さんに結願祝いをやってくれると聞きました。こうした遍路宿のご主人さんたちとの温かなコミュニケーションは、多くのお遍路さんが「お四国病」にかかるほど大きな魅力となっています。区切り打ちを繰り返している40代男性の歩き遍路は「僕にとっては、お宿に遊びに行き、宿のご主人やおかみさんたちといろいろな話をするのが、お遍路さんを続ける動機です。お宿の楽しさに比べたら、札所のお寺への参拝は休憩所に寄るぐらいの意味合いしかないかもしれません」と話していました。

 四国八十八ヶ所巡礼を目指すお遍路さんは、本当にひとそれぞれです。体力や時間など自分自身の条件にあわせて、好きなスタイルで巡礼すれば、それがその人のお遍路さんになります。どこからスタートしてもいいし、交通手段は歩きでもバスやマイカーでもOK。何年かかって一周しても構いません。そうした寛容でゆる~い感じは、四国遍路の魅力にもなっています。

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