国境の歴史伝える松尾峠

 高知県西端の街、宿毛(すくも)は、足摺岬から連なる大月半島によって黒潮がうねる太平洋から隔てられ、波風穏やかな宿毛湾の奥に位置する交通の要衝として古くから栄えてきました。いまも豊後水道を挟んだ対岸の大分県佐伯市との間に1日3便の旅客便「宿毛フェリー」が就航しています。宿毛ー佐伯間の航路は距離78kmで、所要時間3時間10分で九州に着くと案内板に書いてありました。四国から九州に旅客船で渡るとは、なんとも旅情を誘われるルートですね。いつか乗ってみたい。毎日3便が往復しているのだから、旅客や貨物の需要もそれなりにあるようです。

 この日は江戸時代まで土佐と伊予の国境だった松尾峠を越え、愛媛県愛南町で第40番札所・観自在寺に参拝します。時間次第で路線バスを利用して宇和島まで一気に進もうと思っていました。

 前夜宿泊した宿毛のまなべ旅館は、客室にユニットバスが着いた快適な宿です。夜中に強い雨音がして目が覚めたが、朝7時まで爆睡してしまいました。1階の食堂でおいしい干物と味噌汁の朝ご飯をいただき、気分よく出発。きょうは青空が広がっています。

宿毛の市街地から松尾峠に向かう道筋。少し高度を上げると宿毛湾がみてきます

 宿毛の市街地から松尾峠に向かう道筋は、江戸時代に土佐から伊予に向かう街道だったため、峠に向かってアップダウンなく緩やかに登っていくようにルートが設定されています。坂道を登るという辛さを感じるのは、峠手前のわずかな区間だけです。全体的にはなだらかなハイキングルートといった感じで、ところどころで通りがかった集落には「土佐の褐牛(あかうし)」の産地という案内があったり、きれいに整備されたみかん畑が続いていたりして、気持ちよく歩くことができました。

 それでも松尾峠に近づくと、だんだん傾斜がきつくなってきます。このあたりの道筋は戦国時代から江戸時代、明治時代と変わっていないらしい。江戸時代には街道に沿って松並木が整備され、ぬかるみやすいところには石畳が敷かれていたそうです。残念なことに松並木は戦時中の燃料不足対策で松根油を作るために切り倒されてしまい、いまではまったく面影がありません。石畳だけがわずかに残っていましたので、すり減って平になった石の表面をみながら、四国を統一した長宗我部氏の軍勢や幕末の志士、自由民権運動に奔走した土佐の活動家たちもこの石畳を踏んだのかな、と想像してみました。

 たどりついた松尾峠は明治維新まで土佐と伊予を隔てる国境です。説明板によると、双方の番所が置かれて厳しく警備されていました。かつては峠からも宿毛湾を一望できたらしいが、いまは樹勢に負けて展望はありません。歩いて通るひとはお遍路さんばかりのようで、木立の中に太子堂が静かに建っていました。

高知県と愛媛県を隔てる松尾峠は、江戸時代まで土佐と伊予の国境だった。いまは太子堂が静かにたたずむ

 近くには10人ほどが座れる遍路小屋があり、愛南町から登ってきた逆打ちのお遍路さんと話が弾みました。話題は、ある遍路宿のこと。とても不衛生で、部屋に通されると何かの虫がいるらしく、体がかゆくて仕方ない。宿に文句を言うと、部屋の絨毯にスプレー式の殺虫剤をたっぷりふりかけ、「さあ、どうぞ」と言われたそうです。この60代男性のお遍路さんは「私は子供の頃から田舎育ちで、家のなかもきれいじゃなかったけど、あんな部屋に寝たことはないよ」と怒り、「あの宿だけは泊まらないほうがいい」とアドバイスしてくれました。

 歩き遍路が行き会うと、だいたいの場合、宿の話題になります。それでも、目の前で殺虫剤をスプレーして「さあ、どうぞ」という怖い話はこれまで聞いたことがありませんでした。こうした評判のよくない宿は四国八十八ヶ所の地図やガイドに載っているなかにもいくつかあるみたいです。ただ、評判があまり良くないのに長年続いている宿もありますから、実際に泊まってみないと善し悪しはわからないのかもしれません。

 この松尾峠から遍路道を外れて海側に10分ほど分け入ると、純友城の跡があります。平安時代に栄えた藤原氏の一族に生まれながら京都での出世の道を絶たれた藤原純友(893?-941年)は地方官として赴任した伊予で海賊たちを束ねて京都の朝廷に反旗を翻したと史書に伝わっています。同時代に関東で反乱を起こした平将門(生年不詳ー940年)と連携して政権転覆を謀ったとされ、両者の反乱は承平天慶の乱と呼ばれています。ずいぶん昔のことですが、NHK大河ドラマ「風と雲と虹と」(昭和51年)で二人を独立自存の道を目指す英雄として描き、藤原純友を緒形拳が、平将門を加藤剛が演じて人気を集めたこともありました。

 そんな歴史ロマンの登場人物である藤原純友は、宇和海に浮かぶ日振島(ひぶりじま)と、ここ松尾峠近くの純友城を拠点にしたらしい。いまの城址には木製の展望台があって、かつて純友が見渡したであろう雄大な景色が一望できます。純友が挙兵した日振島も指呼の距離に浮かんでいます。説明板によると、純友の乱は約2年に及び、最後は朝廷の追討軍との決戦に。純友は妻子をこの城に残して出撃し、そのまま消息不明になりました。南洋に渡って生きのびたのではないか、といった伝説もあるそうです。

 純友城址からの眺めは素晴らしいです。松尾峠の展望がなくなってしまったいま、このあたりで抜きんでたビュースポットとなっていいます。

純友城址から眺める宿毛湾。右手奥に日振島がみえ、宇和海へと続く。

【第15日 午前の部】
[歩いた日]2016.10.15
[コース] 宿毛-松尾峠-一本松-観自在寺-北宇和島
[天気] 晴れ
[歩行距離] 18.2km
[歩数] 2万4171歩

 参考: 宿毛フェリー http://www.sukumoferry.com/index.htm

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