そえみみず遍路道から五社の札所へ

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きょう3月13日(水)は、土佐久礼からそえみみず遍路道を登って仁井田に入り、第37番札所・岩本寺を目指します。歩き遍路用の地図によれば、遍路道の最短ルートをたどって22.3kmなので、歩き遍路の行程としては短いルートになります。そえみみず遍路道をゆっくり歩き、江戸時代まで37番札所だった高岡神社に寄り道しながら、ゆっくりと歩き遍路を楽しむ一日になりました。

豊富な水量と透明感をあわせ持つ四万十川の流れ。この流域エリアでは、神社に仏さまをお祀りすることが自然に行われていたそうです。

そえみみず遍路道はモータリゼーションが起きるまで、仁井田エリアと土佐久礼など土佐湾エリアを結ぶ生活道路だったそうです。しかし、現在は国道56号線となっている車道ができると、ほとんど歩く人がいなくなって荒れてしまい、遍路道の復興を目指した有志の方々の努力で現在の姿が維持されたそうです。現在は遍路の歴史を残す道として行政も保護しています。その結果、4kmあまりにわたって、かつての遍路道の雰囲気をいまに伝える貴重なルートとして歩き遍路たちに愛されています。

土佐久礼から歩き遍路用の地図をみながら川沿いに30分ぐらい歩くと、そえみみず遍路小屋があります。これは歩き遍路を愛して闘病生活のうちに亡くなったある女性を追悼するためにご主人やご友人たちの尽力で建てられたそうです。この遍路小屋のすぐ先にある右側の入り口からそえみみず遍路道が始まります。

古い石畳が残る坂道を登ると、高知自動車道の高架下をくぐるための階段があります。遍路道を示す矢印に従って階段を降り、再び登り返してきれいな東屋を過ぎると、そえみみず遍路道が本格的に始まります。遍路ころがしといってもそれほど急な登りはありませんでした。

やがて尾根の分岐点から遍路道が少し下っていくようになり、森の雰囲気も広葉樹の多い自然林から杉の植林地帯に変わっていきます。道が下っていくとともに田んぼが現れ、里が近くなってきたところで、そえみみず遍路道は終わります。そえみみず遍路道が県道41号線に交わる分岐点に、種田山頭火の句碑「人生は遍路」が建てられていました。

ここから岩本寺には、基本的に国道56号線を車道に沿って歩くことになります。私は道の駅あぐり窪川の手前で右に分かれ、四万十川の河岸を歩いて高岡神社向かいました。

「五社さん」と呼ばれている高岡神社。江戸時代までは、ここが第37番札所でした。

江戸時代の貞享4年(1687)に眞念という僧侶が書き、歩く遍路向けに書かれた史上最古のガイドブックといわれる「四國遍禮道指南」(しこくへんろみちしるべ)では、第37番札所は仁井田五社と描かれています。このあたりでは神社に不動明王や阿弥陀如来といった御本尊が祀られ、江戸時代の歩き遍路たちは五社を参拝して般若心経をあげたそうです。

それが明治になって神仏分離が国策となり、神社の境内に御本尊を置けなくなったことから、仁井田地区にあった五社の本尊を一カ所に集めてお祀りすることになりました。そのお寺が現在の岩本寺であり、そのまま四国八十八ヶ所の第37番札所となりました。だから、岩本寺には現在も5つの御本尊があり、巡拝したお遍路たちは5つの御本尊それぞれの真言をお唱えすることになっています。

国道56号から離れ、しばらくすると水量の多い四万十川に突き当たり、しばらく歩いて橋をわたると、高岡神社が目の前に迫ってきました。高岡神社はいまも地元では「五社さん」と呼ばれてしたしまれているそうです。

夜、宿坊から外に出ると、岩本寺の仁王門に月明かりが注いでいました。

もともとは瀬戸内海に勢力を持っていた河野氏の一族が6世紀ごろにこのあたりを開墾したことに始まり、弘法大師空海が福円満寺を創建し、神仏習合の神社になったと伝えられています。だから、御祭神はいまも瀬戸内海のしまなみ街道にある大三島の大山祇命・吉備彦狭嶋命です。神様と仏様が分かち難く一体となってきた歴史は、四国八十八ヶ所霊場の特徴のひとつだと思います。高岡神社と岩本寺の関係は、その典型ではないでしょうか。

圧倒的な水量と透明感を持つ四万十川の流れをしばらく眺めてから、岩本寺に向かいました。今夜の宿は岩本寺の宿坊です。

[歩いた日]2019.3.13
[天気] 晴れ 風強し
[コース]土佐久礼ーそえみみず遍路道ー影野ー仁井田ー高岡神社ー第37番札所・岩本寺(宿坊泊)
[歩いた距離] 27.9km   36,188歩

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