前日は徳島・海部を目指しましたが、3km手前の浅川で足が止まってしまい、JR四国に2駅乗って海部に移動、生本旅館に泊まりました。けさ早朝出発しようとしたところ、ご主人から「昨日歩き終えた浅川まで自動車でお送りしましょうか。少しでも時間短縮になるでしょう」とうれしいお申し出があり、遠慮なくお接待に甘えたところ、別れ際に栄養ドリンクまでいただいてしまいました。歩き遍路をやっていると、本当にさまざまな方からご好意をいただき、支えられていることを実感します。
さて、浅川から大里松原海岸を経由して海部に戻り、あとはひたすら国道55号線を歩くばかり。けれども、少しずつ自動車の通行量が減っていき、高知県に入って東洋町を越えると、それほど自動車の騒音と排気ガスに悩まされなくなりました。これは好都合だったのですが、あとはただただ55号線を歩くだけ。前日に打った第23番札所・薬王寺から、室戸岬にある次の第24番札所・最御崎寺まで80km近く離れているので、この日はお参りする札所もありません。
海側に開けた風景も高知県に入って甲浦(かんのうら)を過ぎたあたりから、ゴツゴツした岩が増えはじめ、単調な景色になっていきました。このあたりは海岸と山が接近していて、ひとが住める平らなスペースがなく、伏越の鼻と呼ばれる岬からは約10kmの無人区間が続きます。冷たい飲料を売っている自動販売機もありません。かつてのお遍路さんはゴツゴツした岩をたどって室戸岬を目指したそうで、江戸時代には遍路道の難所としても記録されていました。
四国遍路の原型として、四国の海岸線を回る辺地(へじ)修行というものがありました。仏教民俗学の五来重博士によると、日本人の海洋信仰をバックボーンとする巡礼で、仏教が伝来する以前から日本人の精神世界に刻まれた宗教観ではないか、とも言われています。この伏越の鼻から続く無人区間は、修行として歩かれていた雰囲気を伝えているような気もします。私も海岸線に降りてみましたが、干潮時だったのに尖った岩が露出して容易に歩くことはできない状態でした。満潮時には水没して歩けなそうな区間も見受けられました。たぶん、1時間歩いても1km進めるかどうかではないでしょうか。
そんな太古の遍路たちの苦労を察してみる試みも、あまりに大変そうだとわかっただけで、すぐに終わってしまい、あとはひたすらアスファルトの道を歩き、佐喜浜集落を越えて、尾崎橋の民宿徳増にたどり着きました。やっと室戸岬に立つ灯台のシルエットがみえるところまできました。
[歩いた日]2018.6.14
[歩いた距離]40.2km 52068歩