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太龍寺をめぐる古道歩きを満喫

   第21番札所・太龍寺をめぐる古い遍路道を歩くことは、今回の歩き遍路を計画するなかで、ぜひともやってみたかったことの一つでした。太龍寺の周囲には、定番の遍路地図「四国遍路ひとり歩き同行二人」には掲載されていませんが、地元の阿南町が最近整備し直した古道がいくつもあります。

  それぞれ加茂道、いわや道、平等寺道と呼ばれており、弘法大師空海が修行したと伝わる舎心ヶ嶽と太龍寺を挟んで、ロングルートとして歩くことができます。太龍寺山を麓の集落から登って、ぐるりと一周して別の集落に降りるというイメージです。いずれも現代の歩き遍路の多くが選ぶ道筋よりも厚い歴史を持ち、古道の空気感を色濃く残しています。

加茂道の急勾配を登ると、木々の樹勢が増したような気がしました。

 スタートは阿南市加茂町の一宿寺です。きょうは朝イチで招き猫と勝負の神さまでお松権現に寄ったので、一宿寺のスタートは午前7時15分くらいでした。一宿寺は空海がいちやえの宿を借りたとの言い伝えがそのまま寺名です。

  美しいけど急勾配な竹林を登り、尾根に取り付いて1.3kmほど急坂に喘ぐと、あとは平坦な道でした。ちょうど高野山に続く町石道が平坦なのと同じで、物資運搬を意識した道だったのかもしれません。実際、平安時代に太龍寺を再興したときには一宿寺周辺に京都からやってきた宮大工が住み着き、太龍寺の建設現場に通ったそうです。この道沿いには南北朝時代の町石が置かれていて、国の史跡になっています。

 現在、第20番札所・鶴林寺から降りてきた歩き遍路は水井橋を渡って太龍寺に登りますが、このルートができたのは江戸中期でした。理由は簡単で、水井橋周辺は那賀川の流れが早く、集落からも離れているので、もともと渡し船がなかったのですが、江戸時代の歩き遍路ブームで利用者が増えたため、現在の太龍寺に登る遍路道と渡し船を整備したそうです。

 当然ながら、空海の時代は加茂道がメーンルートでした。ちなみに、この辺りは辰砂(しんしゃ)と呼ばれる水銀の精錬に使われる鉱物がとれた場所で、この点も高野山や町石道との共通項になっています。

 加茂道は現在、歩く人が少ないためか、梅雨どきの季節だからなのか、木々の樹勢が強く、空海が持つ生命力のイメージにぴったりでした。一宿寺から太龍寺まで2時間くらいで登れますので、おすすめのルートです。

舎心ヶ嶽に立つ大きな空海像の肩ごしに、空海が見つめたであろう山々の連なりを眺めてみました。

 この日は太龍寺を打ち終え、空海修行の地と伝わる舎心ヶ嶽で山並みの連なりを眺めながら「谷響きを惜しまず」という空海の言葉に想いを馳せました。それからいわや道から平等寺道を下る途中で2回も急坂で滑って「遍路ころがし」を実感しました。

 第22番札所・平等寺を打ち、それから11km離れた美波市由岐町まで下ってきたところです。これで「山のお遍路」は終わり、明日から「海のお遍路」が始まります。

[歩いた日]2018.6.12

[歩いた距離]34.1km  46533歩

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