真新しい白衣を着て、菅笠をかぶり、金剛杖を片手に午前9時20分、第1番札所・霊山寺を出発。20分も歩かないうちに第2番札所・極楽寺に着き、さらに30分ほど離れた第3番札所・金泉寺にお参りしました。山門で一礼し、手水で清め、本堂に向かってロウソクの燈明と線香を献じ、経本を開いて開経偈から般若心経やご宝号(南無大師遍照金剛)などを順に音読します。続いて太子堂でも同じように献灯献香してお経をあげます。最後に納経所で御納経(御朱印)を受け、ご本尊を映した御影(おすがた)をいただき、300円の納経代を納めます。こうしたお遍路さんの参拝手順がだんだんわかってきました。
第4番札所・大日寺に向かって草むらをかきわけるような小道に入ったころ、朝から重たかった空が一段と暗くなり、やがて雨が降ってきました。しかも荷物が重すぎるのか、ザックが肩に食い込んでくる。大日寺につながる緩やかな坂道でだんだん息が荒くなってきました。
午後1時半すぎ、第5番札所・地蔵寺に着いたころには、それまで降ったりやんだりだった雨が一段と強くなってきて、傘をさしても濡れてしまうほど。遍路旅の初日から雨に見舞われ、荷物も重いので歩くのがどんどん辛くなってきました。こうなると、「なんでこんな苦しいことをわざわざやっているんだろう」と、一気にネガティブ思考になってしまいます。
とにかく東京から四国遍路にきたばかりで自分のペースがつかめず、気持ちに余裕がありませんでした。あとになって振り返れば、いらいらしないでもっと気持ちをゆったり構えることができれば、多少の雨や荷物の重さはそれほど深刻なことではなかった、と思います。ただ、お遍路さんの初日にはそういう余裕がまったくありませんでした。夜行バスの寝不足も含めて、都会の日常生活を離れて緊張していたんだと思います。
気分が逆立っていたので、近くのコンビニエンスストアに寄り、ザックのなかから「もしかしたら便利かもしれない」と考えて持ってきていた登山用コンロや長袖の衣類を取り出して、宅配便で自宅に送ることにしました。荷物を少しでも軽くして、とにかく気分を変えたかったわけです。ついでにコンビニで熱いドリップコーヒーを飲むと、ささくれ立っていた気持ちもちょっと落ち着いてきました。
雨は降り続いていましたが、ともかく第6番札所・安楽寺に向かって歩き出しました。傘をさしていても、すぐにずぶ濡れになる状態です。ローな気分でとぼとぼと歩いていたときでした。正面から走ってきた小さな乗用車がすれ違いざまに静かに止まりました。なんだろうと思っていると、60歳くらいの男性が降り、小走りに寄ってきて、いきなり「これ、お接待です」と地元の生姜糖を差し出してくれたのです。
びっくりして、最初は何が起きたのか、よくわかりませんでした。男性は「雨の中、大変ですね。これ(生姜糖)、おいしいですよ。元気が出ます」とねぎらってくれました。戸惑う私には「ありがとうございます」との言葉しか出てきません。ぎこちなく頭を下げて御礼の言葉を繰り返しただけでした。男性はすぐに立ち去っていきました。私は「これがお接待というものか」と思いながら、しばしその場に立ちすくんでしまいました。なんという絶妙なタイミングなんでしょうか。まるでネガティブな悪循環に陥っていた私の心の中を見透かしたような「お接待」でした。
もし、東京の街角でずぶ濡れになりながら歩いているひとをみかけても、その見ず知らずのひとにお菓子を渡して「がんばれ」と声をかけることは想像できません。四国ではお大師さまへの信仰が厚く、そのお大師さまが定めた八十八ヶ所を巡礼するお遍路さんを大切にするとはいっても、こちらは今朝初めて白衣や菅笠を身に着けたばかりで、発心の中身も怪しい「にわか遍路」です。お遍路さんのマナーとして「お接待は断ってはいけない」ということは知識として知ってはいましたが、これほどの好意に甘えてしまっていいものなのでしょうかー。
そんなことを考えながら歩いているうちに、第6番札所・安楽寺に着きました。本堂の前には屋根があり、雨に濡れないで参拝できるよう配慮されています。休憩しながら、いただいた生姜糖を口に含んでみると優しい甘みが広がり、とてもおいしかった。ほんとに、元気が出てきました。
地元の方がなぜ、お遍路さんを大切にするかというと、お遍路さんは自分の代わりに八十八ヶ所を巡礼してくれる存在なので、ありがたいという気持ちがあると聞きます。ほとんどのお遍路さんは自分のために巡礼しようと発心するのだと思いますが、自分が実際にお接待を受けてみると、遍路は自分のためだけにやっていることではない、という気がしてくるから不思議です。大げさかもしれませんが、お遍路さんはひとりの個人として自分のために歩いているだけではなく、なにかもっと大きなつながりのなかで歩くべくして歩いている、というような感じでしょうか。
午後4時50分、今夜の宿となる第7番札所・十楽寺の宿坊に到着。ビジネスホテルのように清潔できれいな宿坊です。個室に備え付けられたユニットバスに入ると、やっと人心地がつきました。
きょう一日を振り返ってみる。夜行バスの遅れで予定の列車を逃し、遍路用品を「爆買い」して後悔し、歩き始めたら雨でずぶ濡れになったうえ、荷物の重さにいらいらしました。それから荷物の一部を自宅に送り返して気持ちを切り替え、いかなるご縁なのか地元の方から生姜糖のお接待を受け、ひとの好意についてあれこれ思いを巡らす心のゆとりまでいただきました。
「初日からお遍路さんじゃないと経験できないような濃密な時間を過ごしてしまったなあ」と、ひとりで感慨にふけっているうちに、午後9時ごろには前後不覚で眠ってしまいました。
【第1日 午後の部】
[歩いた日] 2016.9.28
[コース] JR徳島駅ー(鉄道)ー池谷駅ー第1番札所・霊山寺-第7番札所・十楽寺
[天気] 曇りのち雨
[歩行距離] 22.9km
[歩数] 31,021歩
【お宿メモ】
[宿泊先] 第7番札所・十楽寺宿坊
088-695-2150
http://www.88shikokuhenro.jp/tokushima/07jurakuji/
[宿泊費] 7900円(2食付)
ビジネスホテルのような建物で、清潔感のある快適な宿坊。歩き遍路には、十楽寺の宿坊を好むひとと第6番札所・安楽寺の宿坊を定宿にするひとがいるらしい。安楽寺宿坊では弘法大師が湯治の効用を伝えたという温泉を楽しめます。
安楽寺宿坊 http://www.shikoku6.or.jp/syukubou.html