足摺岬にある第38番札所・金剛福寺の宿坊に泊めていただき、よく晴れた翌朝、朝勤行を終えてゆっくりと境内をお参りしていると、今回の歩き遍路に一区切りがついたという気持ちがじわじわと湧き上がってきました。ひんやりとした朝の静けさに包まれ、水と緑に恵まれた金剛福寺の境内を眺めていると、最果ての足摺岬まで歩いてきたという達成感と同時に、自分の心が鎮まっていく印象でした。ご住職の奥方が、私が55歳になって入学した高野山大学大学院密教学科通信課程の卒業生だったことがわかり、社会に出てから学び直すことの楽しさについてお話しできたことも喜びでした。
正直なところ、この金剛福寺で今回の歩き遍路を終え、東京に戻ってもいいかな、と思いました。しかしながら、足摺岬は東岸ルートと西岸ルートで表情がまったく違います。前日は透明度の高い海を眺めながら東岸ルートを歩いたので、西岸ルートも歩かないと、足摺岬の歩き遍路は完結しない気がしました。足摺岬の展望台で朝の景色をしばらく眺めてから、西岸ルートを歩き始めました。
ホテルや民宿が立ち並ぶ一角を過ぎると、県道27号線をたどる遍路道は左手に大海原をみながら断崖の上を歩くようになります。長いトンネルになっているバイパスを避け、路線バスが通う旧道を進むと、1時間半ほどで鵜ノ岬展望台の案内板がありました。100mほど歩道を下ると、絶景の展望台があります。ここから臼碆(うすばえ、と読みます)が一望できます。
臼碆は太平洋を北上してきた黒潮の流れが一番初めに日本列島に接岸する場所だと言われています。切り立った花崗岩の断崖に深い群青色の黒潮がぶつかり、荒々しい波音が響いていました。この辺りは磯釣りの名所としても知られています。観光バスが立ち寄る足摺岬と違い、鵜ノ岬展望台や臼碆を訪れる人は少なく、一帯には波音しか聞こえません。四国遍路の前身とされる辺地修行の行者たちがたどった海岸沿いの行場はもしかするとこんな雰囲気だったのか、と思わされるような岬でした。西岸ルートのハイライトです。
県道27号線をしばらく歩き、遍路道は大浜と中浜の集落を通り抜けていきます。中浜はジョン万次郎の生地として知られています。やがて土佐清水市に着くと、コンビニがありました。コンビニで買い物をするのは数日ぶりです。土佐清水市から国道321号線に沿って歩くと、幡陽小学校前の交差点に着き、ここで前日に歩いた東岸ルートと合流しました。
少し歩いて国道321号線から旧道の遍路道に入り、ロープにつかまりながら急坂を下りていくと、大岐海岸に飛び出しました。小川にかけられた小橋を渡って砂浜に出るルートが昔ながらの遍路道です。この小川にはまったく護岸工事がされていなくて、自然のままの地形で透明な真水が波に押されたり引かれたりしながら滔々と海に流れ込んでいます。私が到着したのは午後2時ごろ。小川の真水と波立つ海水が混じり合うところに、春の日差しが注ぎ、水面がキラキラと光っていました。サギの仲間のような鳥が何かをついばんでいます。
あまりにも透明感にあふれる光景でした。仏教用語で言えば、清浄な世界ということになるのでしょうか。波の音はささやくようなやさしさで、さきほど臼碆で鳴り響いていた轟音とは比べようもありません。今夜の宿となる民宿大岐の浜まで15分ほど。時間が許す限り、この景色を眺めることにしました。静かに気持ちを落ち着けるうちに、いつのまにか、瞑想状態に陥っていたのだと思います。
私事ながら、私はこのたび勤務先が募集した早期退職に応募し、あと2週間ほど先の3月末で30数年にわたって勤務した会社を退職することになっています。今回の歩き遍路は有給休暇の消化期間を利用したものでした。なんとか次の職場の見通しも立ち、自分なりに気持ちをリフレッシュしたくて遍路道を歩いてみました。
最果てのイメージがある足摺岬を目指して高知市中心部から何日もかけて自分の足で歩く遍路旅は、いまの私にはぴったりのコースでした。何日も歩き続けて足も疲れてきたし、無事に足摺岬に到達して精神的にも充足感が出てきました。そして、青空が広がる大岐海岸で、透明感あふれる太陽と水辺の景色に囲まれながら、静かに瞑想状態になるうち、今回の歩き遍路はもう終わりにしよう、という気持ちが湧いてきました。一言でいえば、気が済んだ、ということです。
仕事の予定に縛られず、こんな風に気持ちが自然と修まるかたちで遍路旅を終えられるのは、とても幸せなことです。この日は民宿大岐の浜で熱い風呂に入り、夕食をゆっくり食べて、泥のように眠りました。
[歩いた日]2019.3.17
[天気] 晴れ ときに通り雨
[コース]足摺岬・金剛福寺ー臼碆(うすばえ)ー中浜ー土佐清水ー大岐海岸ー民宿大岐の浜
[歩いた距離] 26.0km 34,391歩