国道480号線と交差する矢立(やたて)には、矢立茶屋や公衆トイレがあり、ひと息つくにはちょうどいい場所です。高野山に続く道は矢立茶屋の横から入っていきます。数軒の民家があり、その軒先きをかすめるように坂道が続いています。
登り道が急になってきたところで、道筋の左側に先の尖った大きな石がありました。「袈裟掛石」(けさかけいし)です。説明板によると、ここから高野山の清浄結界になるそうです。
この袈裟掛石とここから100mくらい先にある押上石を合わせて、空海と母親の玉依御前をめぐる言い伝えがあります。高野山が女人禁制だった当時、空海が制止したにもかかわらず玉依御前がこの辺りまで登ってきたので、空海が石の上に袈裟を掛け、「これが越えられますか」と告げました。玉依御前が石を乗り越えようとすると、突然雷鳴がとどろき、火の雨が降ってきたので、空海は近くにあった大きな石を押し上げ、玉依御前を石の陰にかくまって守ったそうです。
この言い伝えで空海が袈裟を掛けた石が「袈裟掛石」で、空海が持ちあげた石が「押上石」とされています。玉依御前は空海にからんでいろいろな伝説に登場しますが、ここでは空海の制止を聞かずに女人禁制の高野山に入ろうとする強情な女性というイメージみたいです。こうした言い伝えもあって、袈裟掛石から先は高野山の清浄結界という考え方もあります。
私が訪れた時には、袈裟掛石にドル札が挟まっていました。外国人の参拝者がお賽銭のつもりでお供えしたのでしょうか。高野山の歴史物語をよく知る外国人の方が増えているようで、なんだか楽しくなってきました。
急な登り道がしばらく続き、ふたたび国道480号線に飛び出すと、ここからは町石道と国道が並行していきます。坂道でアクセルをふかす自動車のエンジン音が聞こえてきたりしますが、まあ、仕方ありません。国道を渡って急坂を少し登ると、展望台があります。東屋で荷物を下ろし、折り重なる山並みを眺めていると、深山に踏み入ってきた感じがしてきました。ここから高野山の大門まで1時間15分ほどでしょうか、最後の登りにかかります。ここまで5時間ぐらい歩いてきて疲れも溜まってくるころなので、焦らずペースを守って登りたいところです。
展望台から10分ぐらい歩くと、町石道のすぐ脇に小さな沢が現れます。源流に近いため、手を入れてみるととても冷たくて、気持ちいい清流です。鏡石を過ぎて橋を渡り、なだらかな坂道をのぼっていくと、一気に急な登り坂になります。疲れた身体にこの急登は結構きついですね。この坂を登りきると、再び自動車道路に出て、その正面に大門がそびえていました。町石道の長い道のりを登ってきた人の多くは「やっと着いた」と感慨に浸るのではないでしょうか。
高野山は標高およそ850mに東西6km、南北2kmの盆地が広がっており、ここに壇上伽藍や奥の院をはじめ117カ所の寺院が点在しています。明治初期に女人禁制が解かれるまで、女性はこの大門をくぐった広場までしか足を踏み入れることを許されませんでした。そこで信仰心厚い女性たちは、大門をくぐって壇上伽藍の方向にお参りしたのち、高野山の外周にある山並みをめぐる女人道をたどったそうです。
大門は高野山の西端に位置しており、ここが九度山側との分水嶺になっています。ですから、大門から壇場伽藍を経て奥の院に続く道筋は、緩やかな下り坂になります。町石道でしごかれた後、大門をくぐって緩やかな道になると、なんともいえずほっとします。ゴールの壇場伽藍まで10分もかかりませんでした。
[歩いた日] 2017.9.29
[天気] 晴れ