町石道を歩く(4)浄土に向かう舞台装置

 天野の里で丹生都比売神社に参拝し、八丁坂を登って二ツ鳥居から町石道に戻り、再び高野山に向かって歩き始めます。少し下ったところからゴルフ場が見えはじめ、傾斜地に田んぼが広がる集落に出ました。地蔵とトイレが整備されており、一休みするにはちょうどいいところです。このあたりから平坦な道が続きます。快調に歩いていると、突然、周囲が明るくなり、ゴルフ場のティーグラウンドに出ました。

 これまで空海の時代から1000年を超える町石道の歴史に思いを馳せながら歩いていたので、森の中からいきなり開放的なゴルフ場に飛び出すと、なんだかタイムスリップしていた自分が一気に現代に引き戻されたような不思議な感覚に陥りました。ゴルフ場をのぞいてみると、起伏に富んだコースのようで、よく手入れされた芝生の緑が鮮やかでした。ゴルフ場を造成した時に町石道にどのような影響を受けたのかわかりませんが、町石道の歩行面がきれいに慣らされ、立木が整然と並んでいるところを見ると、町石道のルートは多少付け替えられたのかもしれません。

突然、町石道が明るくなったと思ったら、ゴルフ場のティーグラウンドに飛び出しました

 ゴルフ場に接するあたりから国道370号と交差する矢立まで、町石道は緩やかな道が延々と続きます。九度山の慈尊院から歩き始めて4時間近くになり、だんだん疲れが出てきました。単調な道のりに飽きてくるとき、頼りになるのが町石の存在です。

 町石は1町(約109m)ごとに整備されていて、スタートとなる九度山の慈尊院を180として、ゴールとなる高野山の壇上伽藍に向けて町石に刻まれた数字が一つずつ若返っていきます。鎌倉時代に整備された町石が現在も数多く残っており、町石道を歩く人は漢数字で刻まれた数字を読み解きながらだんだん自分が高野山に近づいていくことを実感し、励まされているような気持ちになります。町石には壇上伽藍までの距離のほか、真言密教の金剛界と胎蔵界の如来や菩薩が梵字として刻まれていて、かつては一町ごとに礼拝を繰り返しながら山上を目指したそうです。

 こうした町石道の仕組みは本当によくできた舞台装置だと思います。21世紀に暮らす私たちも自分の足で町石道を歩けば、はるか昔に歩いた人たちと同じ体験をできます。

山上までの長い道のりを導いてくれる町石=73町石付近

 そんな町石道に「長年あこがれていた」という随筆家の白洲正子は、九度山から天野まで実際に歩いてみた体験について、著書「西行」(新潮文庫)で「これこそ本物の『参道』の名にふさわしいものであると知った」と感慨深げに書いています。少し引用してみます。

 「これ(町石)に従って行きさえすれば、間違いなく浄土へ導かれる、次第にそんな気分になって来るのは、千年の伝統に培われた周囲の雰囲気によるのであろう。とりわけ木洩れ日の中に現れる楚々とした姿は幽玄で、深く彫られた種子(梵字)の下に書いてある町数が減って行く度に、命が蘇る心地がする」

 「浄土」や「蘇り」への信仰は、日本人の宗教心に深く根付いたものだと思います。空海の死後、高野山では空海が打ち立てた緻密な真言密教の体系を引き継ぐ動きが希薄で、高野山が無住状態になる一時期がありました。その高野山が再び隆盛したのは平安後期から広がった浄土信仰と結びついたためで、その高野山のブランド価値を全国的に広めたのが高野聖と呼ばれる人たちです。町石が設置された鎌倉時代は浄土信仰が日本全国に定着していった時期でもあります。

 また、蘇りに対する信仰は若返りへの信仰とも重なるもので、伊勢神宮が20年ごとに新しい木材で建て替えられるように、おそらく仏教が日本列島に伝来する以前から日本人の心に育まれてきた信仰です。こうした「浄土」や「蘇り」と言った日本人の心に奥深く横たわっている宗教心を町石道の巧みな舞台装置に重ねて描写しているあたり、伝統文化の目利きとして知られる白洲正子の本領発揮といった印象を受けます。

 ちなみに白洲正子の「西行」によると、天野には西行の家族が暮らしており、高野山に滞在していた西行は出家の身でありながら足繁く家族の元に通っていました。西行は讃岐の国を中心に四国八十八ヶ所の札所とも縁の深い存在ですが、町石道を何度となく往復したひとりでもあるのかと思うと、町石道に刻まれた歴史ロマンの深みを感じます。

 緩やかで長い下り道を歩いていくと、だんだん自動車の音が聞こえて、国道370号線と交差する矢立に着きました。茶屋とトイレがあり、しばらく休憩しました。この矢立を過ぎると、高野山につながる約1時間40分の登り道にさしかかります。

 

[歩いた日] 2017.9.29
[天気]   晴れ

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