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宿毛 甘口醤油と歴史の街

土佐くろしお鉄道

 足摺岬から第39番札所・延光寺までの道のりは、歩けば2日間はかかる距離ですが、私はバスと鉄道を利用しました。交通費は「四国西南周遊レール&バスきっぷ」にすべて含まれるので割安感があります。小雨が混じるなか、足摺岬から高知西南交通バスに2時間揺られて中村駅に着き、通学の中高生で混み合う土佐くろしお鉄道で平田駅までローカル線の旅となりました。平田駅から30分ほど歩き、延光寺には午後零時半ごろに着きました。

第39番札所・延光寺の山門

 延光寺は順打ちで四国八十八ヶ所を回ると、高知県最後の霊場となります。山号は「赤亀山」(しゃっきざん)で、かつて境内の池に住んでいた赤い亀がいなくなったと思ったら、竜宮城から銅の梵鐘を背負って帰ってきた、という伝説があって、それが山号になったそうです。私が訪ねたときは、たまたま参拝者が途切れる時間帯だったようで、掃除の行き届いた境内でゆっくりお参りできました。

 このあたりから宿毛市に入ります。読み方は「すくも」。高知県の西端になる。高知市内の居酒屋でカツオのたたきを食べていたとき、店の親父さんが「土佐の醤油は西にいくほど甘くなっていくんだよ」と教えてくれ、宿毛産のさしみ醤油を出してくれたことがありました。その醤油は、首都圏で育った私にはなじみのない、こっくりしてうまみが強い醤油でした。以前に島根県出雲市の一部になっている平田町で名産品の再仕込み醤油を試したことがありましたが、それにちょっと似ている気がします。最初は醤油の甘さに驚いたのですが、慣れてみると、独特のうまみがあって、カツオやイワシなど青魚の刺身によく合うことに気づきました。居酒屋の親父さんは、宿毛には京都の公家文化が伝わっていて、それが甘めの醤油につながっている、と説明してくれました。

 延光寺から車道沿いに緩やかな下り坂を1時間あまり下ると、宿毛の市街地に入りました。宿毛大橋のたもとにある四国八十八ヶ所遍路小屋プロジェクトの遍路小屋で一休みしてから市街地を歩き始めると、「宿毛市立宿毛歴史館」の看板を発見。宿毛市立文教センターという建物に、図書館などと同居している歴史資料館でした。宿毛の醤油がなぜ甘いのか、その由来がわかるかな、と思いながらのぞいてみると、歴史好きの私にはぴったりの施設でした。

宿毛町の町並み

 宿毛歴史館の説明によると、宿毛には京都の公家文化に深い関係があるそうです。もともと宿毛には五摂家の九条家から一条家に譲られた荘園があったが、応仁の乱で京都が混乱した室町時代に、その荘園の主だった一条家のメンバーが戦火を逃れるかたちで土佐国司として赴任し、いわゆる公卿大名として戦国時代に勢力を持ちました。そのときに京都の公家文化を宿毛に持ち込んだそうで、甘い醤油が好まれたのもその影響らしい。

 宿毛歴史館の展示でさらに面白かったのは、戊辰戦争と宿毛の関わりです。板垣退助らが率いた土佐藩の部隊が会津戦争などで激しく交戦したことは知られていますが、宿毛はそのときに別働隊として「機勢隊」という部隊を組織して出兵したそうです。そのひとりとして展示されていた岩村高俊の名前に見覚えがありました。長岡藩の家老だった河井継之助を活写した司馬遼太郎の歴史小説「峠」で、長岡藩の武装中立路線をとって戦火を避けようとした河井継之助と信州・小千谷で会談し、河井の和平工作を「時間稼ぎ」と切って捨てた官軍の幹部です。小説「峠」では、当時の20代前半だった岩村は浅慮の人物として描かれ、河井の会談相手が西郷隆盛のような大人物だったら北越戦争の悲劇は回避され、明治維新の歴史も変わっていたのではないか、と読者に示唆する筋書きになっています。

 歴史の評価は立場によってさまざまなのでしょうが、これほど有名な小説で評価を決めつけられてしまうと、その人物は辛いでしょう。当時の国際情勢を考えれば、戊申戦争は早期に収拾しないと海外列強からの介入が強まる恐れがあったわけですから、時間稼ぎを受け容れられないという明治新政府側の判断にも理由がありました。岩村の判断を浅慮と決めつけるのは小説としてはドラマチックな場面を演出できるかもしれませんが、あまりにも作家の主観が入り込み過ぎているという気がしないでもない。宿毛歴史館の展示では、岩村高俊はあくまで郷土の偉人として描かれ、小千谷会談にはまったく触れられていませんでした。

 このほか、宿毛歴史館には、明治期の自由民権運動で竹内綱など宿毛出身者が重要な役割を果たしたことや、竹内の息子で戦後日本を担った宰相・吉田茂が宿毛に生まれたことなども説明されていました。

 この日は宿泊先は、宿毛のまなべ旅館です。1階がおいしい定食屋さんで、清潔な宿でした。

    宿毛市立宿毛歴史館 http://www.city.sukumo.kochi.jp/sbc/history/

 

【第14日】
[日付] 2016.10.14
[コース] 足摺岬-中村駅-平田駅-延光寺-宿毛
[天気] 明るい曇り
[歩行距離] 12.7km
[歩数] 1万6401歩

【利用した公共交通機関】
 <足摺岬ー中村駅>
 高知西南交通バス

  http://www.kochi-seinan.co.jp/local/
「四国西南周遊レール&バスきっぷ」を利用しない場合:1,900円
 <中村駅ー平田駅>
 土佐くろしお鉄道
  http://www.tosakuro.com/
「四国西南周遊レール&バスきっぷ」を利用しない場合:470円

   <四国西南周遊レール&バスきっぷ> 
  http://www.jr-eki.com/ticket/brand/1-5GO

【お宿メモ】
[宿泊先] まなべ旅館
[宿泊費] 6,700円(2食付)洗濯機と乾燥機は無料で貸してくれた
 住所 〒788-0009 高知県宿毛市駅東町3-302
 Tel 0880-63-3408
 HP http://www.guesthouse-manabe.com/
 1階は食堂として一般客を相手に営業しており、2階がユニットバス付の宿泊部屋になっています。元々は商人宿のようで、宿泊客はお遍路さんばかりではありません。代替わりなのか、若手のご夫婦が切り盛りしていました。特定のファンに好まれる遍路宿のようなウェットなコミュニケーションではありませんが、機能的で必要十分なサービスを提供してくれます。部屋やユニットバスは清潔で、食堂の定食もおいしい。歩き遍路にももっと利用されていい宿と思います。

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