お接待の深さを知った峠道

 四国八十八ヶ所第42番札所の仏木寺を出発すると、松山自動車道の高架に沿うようにしてしばらく歩きます。歯長峠(しながとうげ)に向かってだんだん高度を上げていくと、やがて松山自動車道はトンネルに隠れ、山道が険しくなっていきます。

 このあたりで、今朝の天気予報通り、小雨がパラパラと降ってきました。お遍路さんを始めて3日目に第11番札所・藤井寺の手前で、雨降りの車道を歩いていてすれ違った軽トラックから全身に泥はねと藍色の液体を飛ばされて以来、私は天気予報には敏感になりました。お遍路さんとして歩いているときにはiPhoneの天気アプリをまめにチェックしています。この天気アプリに市町村単位で表示される1時間ごとの降水確率はけっこう精度が高く、降水確率が70%を超えていたら、ほぼ確実に雨が降ります。

歯長峠に向かう山道。左側の歩道から車道に出た途端、男性が運転する軽自動車と出くわした

 歯長峠に続く山道はけっこう傾斜があり、だんだん雨が強くなってきて「困ったな」と思い始めたころ、山道から細い車道に出ました。その途端に、私の前を横切っていったシルバーの軽自動車が、すーっと路肩に停車してきました。お遍路さんを初めて2週間が過ぎたので、こちらもだいぶ場慣れしてきていて、こういうタイミングで自動車が近くに停まるときは、なにがしかのお接待をいただくことが多いものです。このときもミカンかアメをいただくのかなと思ったのですが、自動車を降りてきた年配の男性は、予想外のことを申し出てくれました。

 「お遍路さんですね。雨が降ってきて大変でしょう。次の札所の明石寺まで送りますから、よかったらお接待させてください」

 物腰はとても丁寧で、ひとの良さがにじみ出ている感じ。お接待は断らないのがお遍路さんの礼儀とされていますが、これほど地元の方に甘えてしまっていいものかー。それに、歩く距離があまり短くなってしまうのも本意ではありません。けれども、雨脚は強くなるばかり。ここは素直にお接待していただくことにしました。

 助手席に乗り込むと、男性とあれこれ話が弾みました。男性は西予地域にお住まいで、仕事が休みの週末になると、時間をみつけては歩き遍路の道筋に沿って愛車を走らせ、送迎のお接待をもう何年間も続けているそうです。

 「きょうは天気予報で雨が降りそうだったから、困っているお遍路さんがいるんじゃないかな、と思って。よかったら、明石寺に寄ってからその先の大寶寺まで送りますよ」

 こんな言葉を男性はさらりと口にしてくれましたが、これは相当大変なことです。まず、この日は日曜日でご本人にとっても貴重な休日のはずなのに、「困っているお遍路さんがいるかもしれない」という動機で、はっきりした当てもないのに山道のなかを愛車で走ること自体が、都会で育った私には正直なところ理解できません。さらに歯長峠から第43番札所・明石寺までは7kmほどの距離なので自動車ならたいしたことはありませんが、そこから久万高原町にある第44番札所・大寶寺に行くためにはさらに山道を片道68kmも走らなければなりません。大寶寺まで往復140kmを超える距離を走って帰ってきたら、それだけで夕方になってしまうはずです。

 大寶寺まで送迎してくれるという申し出に私が驚いていると、男性は「そんなことは気にしなくていいんですよ。これまでにも大寶寺まで送ったことがありますから」と、さらりと言うだけ。何か事情があるのかもしれませんが、詳しく聞くのは憚られました。

 お遍路さんをお接待しても、直接的な見返りがあるわけではありません。そのためにせっかくの休日を費やしてしまうのは、いくらなんでもやりすぎなのではないでしょうか。ガソリン代だって馬鹿にならないはず。それほどまでに地元の人たちをお接待に駆り立てるものはいったいなんなのでしょうか。

「困っているお遍路さんがいるかもしれない」と、愛車を走らせていた男性。第43番札所・明石寺の駐車場で撮影させていただいた

 お接待をする理由として、よく聞くのは、「お遍路さんは自分の代わりに四国八十八カ所霊場にお参りをしてくれるのだから、ありがたい存在だ」という考え方です。「お遍路さんは『同行二人』としてお大師さまと一緒に巡礼している。そのお遍路さんをお接待することは自分の功徳になる」という説明も聞いたことがあります。

 そうは言っても、この歯長峠であった男性の申し出は、こうした理由だけでは十分に説明しきれない気がします。もっと奉仕に近いような感覚というのか。あるいはお接待すること自体がご自身の使命になってしまっているというべきかもしれません。これはもうマルセル・モースの「贈与論」でも持ち出さなければ、説明がつかない気がします。男性と話しながら私の頭をよぎったのは、「贈与論」の中にある「贈与の義務」や「贈与と霊的な力」のあたり。モースはそうした贈与の意味を未開社会の時代から人間が持ち続けている精神的な構造として描いていますが、それを思い起こさせるほど濃厚なお接待に現代社会に生きる自分が四国の山道で出くわすとはまったく予想していませんでした。贈与論 (ちくま学芸文庫)

 蛇足ながら、マルセル・モースの「贈与論」については、松岡正剛がWEB連載「千夜千冊」のなかで現代日本に引き寄せて紹介している記事「マルセル・モース 贈与論」(http://1000ya.isis.ne.jp/1507.html)が面白い。松岡正剛には空海を論じた「空海の夢」(春秋社)という知的刺激に満ちた著作もあります。空海の夢

 歯長峠から20分ほど自動車のお接待を受け、第43番札所・明石寺に着いたころには、雨も上がっていました。御礼を言って写真を撮らせていただき、男性と別れました。大寶寺への送迎はあまりにも行き過ぎな気がして丁重にお断りしました。

 明石寺に参拝したあと、JR四国予讃線の卯之町駅から特急に乗り、一気に松山へ。この日は愛用していた「四国西南周遊レール&バス」の有効期間最終日となる4日目だったので、利用区間(高知-松山)ぎりぎりとなる松山駅まで特急「宇和海14号」に乗り、このお得な切符を使い倒しました。松山には午後1時20分に着いてしまい、伊予鉄道の郊外電車や路線バスを乗り継いで松山市近郊にある第49番札所・浄土寺、第48番札所・西林寺、第50番札所・繁多寺に効率よく参拝。これも歯長峠から明石寺まで送迎のお接待をいただき、歩行時間が短縮できたおかげです。

【第16日 午後の部】
[歩いた日] 2016.10.16 日曜日
[コース] 北宇和島-龍光寺-仏木寺ー歯長峠-明石寺-卯之町駅-JR松山駅ー松山市駅ー浄土寺ー西林寺ー繁多寺ー松山市内
[天気] 曇り
[歩行距離] 20.0km
[歩数] 2万5747歩

【利用した公共交通機関】
 <北宇和島-務田>
 JR四国 宇土線  220円(四国西南周遊レール&バスきっぷを使わない場合)
 http://www.jr-shikoku.co.jp/01_trainbus/jikoku/
 <卯之町-松山>
 JR四国 予讃線 特急宇和海14号 乗車券1,460円+特急券1,180円(四国西南周遊レール&バスきっぷを使わない場合)
 http://www.jr-shikoku.co.jp/01_trainbus/jikoku/
 <JR松山駅ー松山市駅>
 伊予鉄市内電車
 <松山市駅ー久米駅> ※第49番札所・浄土寺
 伊予鉄郊外電車 大河原線
 <久米駅ー高井局> ※第48番札所・西林寺
 伊予鉄路線バス 久米・窪田線
 <高井局ー久米駅>
 伊予鉄路線バス 久米・窪田線
 <久米駅ー繁多寺口> ※第50番札所・繁多寺
 伊予鉄路線バス 10番線
 <繁多寺口ーJR松山駅>
 伊予鉄路線バス 10番線
  ※松山近郊の郊外電車と路線バスは、乗り放題切符「ALL IYOTETSU 1 Day Pass」(1,500円)を利用した
  ※松山市の市内電車と郊外電車の時刻表 http://www.iyotetsu.co.jp/rosen/
  ※松山市内の路線バス時刻表 http://www.iyotetsu.co.jp/rosen/bus/ 
 
【お宿メモ】
[宿泊先] ホテルサンルート松山
[宿泊費] 4,500円(素泊まり)
 住所:愛媛県松山市宮田町391-8
 電話:089-933-2811
 http://www.sunroute-matsuyama.co.jp
 JR松山駅に近いビジネスホテル。JR線のほか、大寶寺や岩屋寺のある久万高原町に行くJRバスを利用するやめには便利な立地になっている。ただ、松山市の繁華街は、松山市駅から大街道あたりなので、そのあたりに比べるとJR松山駅周辺は飲食店が少ない。ホテル内には宿泊者向けのランドリーはなく、近所のコインランドリーを利用することになる

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