町石道を歩く(1)スタートは九度山・慈尊院

 弘法大師空海が高野山を開創してから1200有余年。道路や鉄道が開通するまで、高野山につながる表参道となってきたのが町石道です。「ちょういしみち」と読みます。山麓の九度山から高野山まで約21kmの山道は、いまでもよく整備された歩きやすい道になっています。

 町石道のスタート地点は、九度山の慈尊院。2017年9月放映のブラタモリに出てきましたが、以前は紀ノ川に渡し船があり、各地に向かう街道につながっていたそうです。現在は、南海電鉄高野線の九度山駅か、JR西日本和歌山線の高野口駅が最寄駅になりますが、どちらから歩いても20分-30分くらいかかります。私は前日夜に成田空港から関西空港に飛び、和歌山駅前のビジネスホテルに一泊。翌朝、JR和歌山線で午前7時55分に高野口駅に到着し、そこから歩き始めました。

慈尊院の山門をくぐると、多宝塔と本堂が目に飛び込んできます

 慈尊院は境内にお地蔵さまが並んでいて高野山よりもやや庶民的な感じがする霊場です。明治初期まで女人禁制だった高野山の代わりに女性がお参りしたことから「女人高野」とも呼ばれた歴史があり、弘法大師空海の母親もここに滞在したと伝わっています。

 空海は母親に会うために1カ月に9度も高野山から慈尊院に降りてきたという伝承もあり、それが九度山という地名につながったそうです。九度山というと、大河ドラマ「真田丸」にも描かれていたように、関ヶ原の戦いで破れた真田幸村が雌伏のときを過ごした場所として知られていますが、地名の由来は母親を思う空海のエピソードにあったんですね。

 空海と母親に関わる伝承は、四国八十八ヶ所を巡礼していると、何度も耳にする機会があります。お遍路さんによく知られているのは、徳島県小松島市にある第18番札所恩山寺でしょう。当時は恩山寺も女人禁制だったので修行中の空海は母親の玉依御前に会うことができず、17日間にわたって滝に打たれて修行した末、女人禁制を解く祈願を成就して晴れて母親に対面したと伝わっています。

弥勒堂の横にずらりと並ぶお地蔵さま。五輪塔を描いた卒塔婆が供養されていました

 このほかにも香川県善通寺市の第75番札所・善通寺は玉依御前が空海を産んだ場所が御影堂として信仰を集めていますし、香川県多度津町の別格20番霊場第18番の海岸寺には玉依御前の出身地とされ、ここにも空海の生誕地という伝承があります。

 慈尊院から高野山まで、空海の時代から続く町石道を歩くと6時間から7時間くらいかかります。この町石道を空海が月に9度も往復したという伝承は、実際にはしょっちゅう母親に会いに来ていたという意味なのかもしれませんが、このエピソードからは空海の人柄がにじみでているような気がします。

 

[歩いた日] 2017.9.29
[天気]   晴れ

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