高野山点景:墓石重なる無縁塚

 高野山奥ノ院の近くに無縁塚があります。境内のあちこちで見つかった墓石を集めて供養しているそうです。こんなにも大量に集められた墓石をみていると、1200年にも及ぶ高野山の歴史の中で集積された無数の人々の念がここに凝縮されているようにも思えてきて、一種独特の圧迫感がありました。

 弘法大師に対する信仰の広がりは、平安時代以降、高野聖(こうやひじり)と呼ばれる人たちが全国を遊行する中で弘法大師や高野山のご利益を語り、それがだんだん民衆に浸透していったことが一因だとみられます。ただ、高野聖が広めた教えは弘法大師空海が強固な体系を打ち立てた真言密教とはだいぶニュアンスが違っていて、もっと民衆にわかりやすい極楽往生などを説いた浄土教に近い内容だったと言われています。

 その高野聖は、遠方の信者が高野山に五輪塔や墓を作る手配も行っていて、それが高野聖の有力な収入源にもなっていました。高野山の敷地内には、いまではどなたを供養したのかわからなくなってしまった墓石が無数に埋もれていて、そのなかには高野聖が関わった墓石や五輪塔が大量にあると聞きました。この無縁塚に集められた墓石の中にも、そんな高野聖たちの紹介で作られたものがたくさんあるのかもしれません。

高野山奥ノ院の近くにある無縁塚。集められた墓石はとても数えきれません

 四国八十八ヶ所でもあちこちに無縁仏となってしまった墓石をみかけました。特に印象的だったのは第45番札所・岩屋寺です。山中に続く遍路道の回りに古い墓石が集められ、それをぶ厚い苔が覆って不気味な雰囲気だったのは、ブログ「死のイメージ重なる遍路道」に書かせていただいた通りです。この無縁塚もそうですが、こうした墓石の集まりをみていると、過去に生きた人たちの念を感じる一方で、数百年という時間が過ぎ去る中で、過去に生きた人たちを記憶している子供や孫の世代もいなくなり、だんだん土に還っていくのも自然なのかな、と考えたりしました。

 墓をつくり、死者を供養するのは人類だけが持つ特徴と言われますが、いざ肉親の死に直面すると、現実の対応に追われてしまってゆっくり考える暇もないということが多いと思います。でも、霊場として長い歴史を持つ高野山にお参りし、偶然見かけた無縁塚の迫力に圧倒されていると、葬儀や供養というのは、ひとの心の問題に深く関わっているのだなあと、しみじみ感じ入ってしまいました。

 

[歩いた日] 2016.10.27

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