繰り返す峠越え 「修行の道場」は続く
歩き遍路たちの間では、土佐高知の遍路ころがしは古くから「かどや やきざか そえみみず」と語呂合わせのように言い慣らされてきたそうです。きょう3月12日に私がたどったルートは、まず浦ノ内湾から仏坂不動尊のある峠を越えて須崎市に入り、そのまま遍路ころがしのうち「かどや」と「やきざか」を越え、土佐久礼で宿泊する道筋でした。土佐の遍路ころがしでもっとも長い区間となる「そえみみず」は、あす13日の課題として残っています。きょうのルートには巡拝すべき四国八十八ヶ所の札所はひとつもありませんでした。「修行の道場」と言われる土佐高知の遍路道はだんだんハードルが上がってきた感じです。
人気の遍路宿「お宿 なずな」から歩き出すと、朝の浦ノ内湾はまったく波風がなく、墨絵のように静まり返っていました。
横浪半島で太平洋と隔てられているのでもともと穏やかな内海なのですが、ここは大変豊かな漁場でもあるそうです。昨夜の夕食では、なずなのおかみさんが干潮のときにご自分で採ってきたという地がきを振舞ってくださいました。養殖ではないので粒は小さいのですが、通常のかきよりもはるかに味が濃くて、滋味豊かでした。この地がきは3月末までしか食べられないそうで、なずなでは、予約を受けた宿泊客の人数分だけ、その日の干潮を狙って宿の目の前にある湾から採ってくるそうです。
海沿いの道を歩き、横浪から峠道に入ります。横浪から須崎に続く遍路道は車道沿いに歩いていくルートもあるのですが、それは前回歩いてみたので、今回は少し遠回りして仏坂不動尊経由のルートを選びました。結果として、仏坂不動尊ルートの方が車道ルートよりも峠の高さが高い上に山道なのでずっと時間がかかりました。それにけっこう寂しい道なので、女性の独り歩きにはあまり向かないかもしれません。
仏坂不動尊は、岩不動とも呼ばれています。御本尊はお不動さまらしき模様がある自然石で、誰かが刻んだものなのか、自然の造形なのか、私には判別がつきませんでした。この岩の下部には、こんこんと水が湧いていて、霊水として知られているようでした。お寺の名前は光明峯寺といい、そのお堂のひとつが仏坂不動尊です。お堂はきれいに整備され、周囲は庭園のように手入れがされていました。地元の方々に親しまれている霊場なのだと思います。
四国の霊場にはいろいろな霊験話や逸話が伝わっていますが、その多くは南北朝時代になるころまでに弘法大師信仰を喧伝した高野聖や山伏らによって組織的に作られたのではないか、という見方が最近の遍路学ではほぼ共通認識になってきているようです。そうした四国霊場の物語の成立とともに、現代まで続く八十八ヶ所霊場を巡拝する四国遍路のフォーマットができあがっていったと考えられます。仏坂不動尊はいまも近代以前の四国霊場の雰囲気を伝えているような気がしました。
須崎の市街地を通り抜け、いよいよ土佐高知の遍路ころがしに入りますといっても、最初の「かどや」は国道56号線の角谷トンネルを通るしかなく、古来の峠道はいまは通れないようでした。でも、角谷トンネルを抜けると、安和と土佐湾がきれいに見渡せる展望ポイントがあり、眺めの良さは昔と変わらないようです。
問題は次の「やきさか」でした。安和駅前を通過した時点ですでに午後2時50分になっており、朝から歩いてきた疲労感もでてきており、ここから焼坂峠を越えて土佐久礼まで8kmの峠越えをスタートさせるのは結構しんどい。国道56号線に沿って全長1km超の焼坂トンネルを通れば体力的に楽なことはわかっていましたが、歩道のない長いトンネルを排気ガスにまみれて歩くのは辛い。古くからの遍路道をなるべく歩きたいという気持ちもあるので、焼坂峠越えを選びました。
安和から林道を登っているうちは快調でしたが、林道から分かれて、古来の峠道に入ったら、思ったよりも勾配が急でした。ところどころロープにつかまりながら登るような急登になってしまい、結果として焼坂峠まで約2kmの登りに50分もかかってしまいました。下の林道も最近整備されてないようで、落石のために路面が荒れていて、通常の山道よりもずっと歩きにくかったです。
土佐久礼の宿に着いたのは、午後5時15分だったので、安和から焼坂峠越えの8km区間に2時間半近くかかってしまいました。足も痛くなってきたし、やっぱり遍路ころがしはそんなに甘くないなあ、と改めて認識した次第です。
[歩いた日]2019.3.12
[天気] 晴れ
[コース]須崎市浦ノ内深浦ー横浪ー仏坂不動尊ー須崎ー角谷トンネルー安和ー焼坂峠ー土佐久礼
[歩いた距離] 34.0km 44,278歩