屋島と五剣山で歴史探訪

 四国八十八ヶ所第83番札所・一宮寺から第84番札所・屋島寺に向かう歩き遍路は高松市の市街地を通りぬけていくのですが、私は夕方までに第85番札所・八栗寺まで行きたかったので、ことでん(高松琴平電気鉄道)を使って時間短縮を図ることにしました。一宮寺の最寄り駅となる一宮駅から琴平線に乗り、瓦町で志度線に乗り換え、潟元駅まで30分あまりで着きました。ことでんは本数が多いので、大変便利です。
 屋島寺のある屋島の頂上までは有料道路の屋島ドライブウエイを経由して自動車やシャトルバスを利用できますが、潟元駅から頂上まで続く登り道もよく整備されています。遍路道は潟元駅からしばらく住宅街を歩き、石畳の階段から歩行者専用路に入ります。途中に弘法大師伝説として有名な「喰わずの梨」のエピソードが残る場所を通って、潟元駅から40分ほどで広々とした屋島寺の境内に出ました。

第84番札所・屋島寺は観光地となっている屋島の山頂部分にあります

 屋島寺のある屋島は南北5km、東西3kmにわたる標高290mの屋根型をした溶岩台地で、周囲は急な崖に囲まれています。特徴のある地形なので、昔から瀬戸内海のランドマークであり、交通の要衝でした。古くは白村江の戦い(667年)で唐・新羅の連合軍に敗れた中大兄皇子が屋島に山城を作ったことが日本書紀に記録されており、2002(平成14)年には当時の山城の遺構が見つかりました。

 屋島寺の開基は唐から渡ってきた鑑真和尚と伝えられていますが、宗教民俗学者の五来重は著書「四国遍路の寺」(角川ソフィア文庫)のなかで「世代のどこかに律僧がいたから、そういうことになったのではないか」と指摘しています。屋島寺の開基が鑑真和尚本人がどうかはともかく、鑑真和尚が瀬戸内海を渡って奈良にたどり着いたことは間違いありません。いまは第82番札所・根香寺の奥の院となっている鷲峰寺にも鑑真和尚が奈良に向かう途中に滞在したとの伝承があります。こうしたエピソードから、唐から奈良に向かう途中の鑑真和尚が讃岐に立ち寄ったとしてもおかしくないくらい、当時の讃岐は文化の先進地だったことが伝わってくる気がします。

 現在の屋島は源平合戦の古戦場であり、瀬戸内海を一望できる景勝地として人気の観光スポットです。屋島寺から台地の縁に沿って歩くと、屋島の古戦場を一望できる展望台があります。この台地の縁から海水面まで標高差290mほどの切り立った崖になっています。この崖に遍路道が刻まれているのですが、むちゃくちゃ急な山道の下りです。下り坂が苦手な方は避けたほうが賢明です。この崖を降りたあたりに平家の本陣があり、安徳天皇の行在所跡が残っていました。平家は源氏が海上から攻めてくると想定していましたから、きっと急な崖を天然の砦として本陣を置いたのでしょう。これに対して、源義経率いる陽動部隊は徳島の第19番札所・立江寺近くに上陸して第18番札所・恩山寺近くの弦巻坂を駆け抜け、阿波の豪族を味方のつけながら屋島にある平氏の本陣を背後の陸地から急襲しました。

 展望台からは、奥羽から源義経に従ってきた佐藤兄弟の継信が平教経が放った矢から身を盾にして義経を守り命を落としたり、弓の名手の那須与一が平家方が船上で女性に掲げさせた扇を見事に射貫いたエピソードなど、後世に語り継がれた歴史の舞台が眼下に広がります。徳島から進軍してきた義経たちは写真右手の方に陣を敷いたそうです。屋島に点在する平家物語の名場面の舞台を訪ねるだけで、一日あっても足りないくらいです。

屋島寺から歩き始めると、すぐに展望台があり、源平合戦の古戦場を一望できます。正面には八栗寺のある五剣山がそびえています

  屋島寺から急な崖を降り、平家の本陣があったあたりから入り江にかかる橋を渡り、第85番札所・八栗寺に続く坂を登ります。札所の受付終了時間である午後5時までにお参りを済ませるために、坂の途中にあったケーブルカーに乗ることにしました。

 八栗寺は背後にある五剣山と一体になった札所です。五剣山はみるからに険しそうな山容で、かつては修行者が籠もった霊場でした。お遍路さんのなかにも、八栗寺をお参りするときには奥の院でもある五剣山の岩稜を登るひとが多かったそうです。いまでは危険な山道なので、一般のお遍路さんは立ち入らないよう呼びかけられています。

 八栗寺の本堂は聖天堂と呼ばれていて、ご本尊の聖観世音菩薩が祀られています。「聖天さま」として商売繁盛の御利益を求めて参拝する方が多いようですが、私はこの聖天堂が大きな岩窟のなかに一部が入り込むようなかたちで建てられていることに興味を引かれました。前出の五来重の著書「四国遍路の寺」によると、五剣山にはたくさんの岩窟があり、古くからそこに修行者が籠もったり、さまざまな神仏を祀ってきたと考えられています。八栗寺と五剣山は日本人の古い宗教観にもつながる辺地修行が行われた霊場だった、というわけです。

 海岸線を中心に霊場を回って歩く辺地修行は四国遍路の原型とみられていますから、第71番札所・弥谷寺と同じように、この八栗寺と五剣山は四国八十八ヶ所巡礼が始まる前から修行者たちが集まった霊場のひとつだったのでしょう。実際、いまでも岩窟がいくつもあるそうです。機会があったら、もっとゆっくり参拝してみたいと思いました。

八栗寺は険しい五剣山と一体になった霊場です。いかにも行者の修行場といった地形です

 八栗寺からケーブルカーで登山口駅に戻り、そこから八栗駅に向かって歩いていくと、市街地にはいる手前で日が暮れました。ちょうど屋島の台地の縁に太陽が落ちていきました。雲がまったくなく、讃岐平野の特徴的な山々がきれいなシルエットになっていきます。歩き疲れた一日の最後にこんな夕日に見送られるなんて、まるで子供の頃に戻ったような気がしました。

八栗寺から屋島の市街地に向けて歩いていると、とっぷり日が暮れてしまいました

【第24日 午後の部】
[歩いた日] 2016.10.24
[コース] 高松市内−根香寺−中宮寺−屋島寺−八栗寺−高松市内
[天気] 晴れ
[歩行距離] 26.5km
[歩数] 3万4991歩

【利用した公共交通機関】
 <一宮駅−瓦町駅−潟元駅>
 ことでん(高松琴平電気鉄道)琴平線−志度線
 料金 410円
 URL  http://www.kotoden.co.jp/publichtm/kotoden/time/
 <八栗ケーブル>
 料金 往復930円 
 URL http://www.shikoku-cable.co.jp/yakuri/index.htm
 <八栗駅−瓦町駅−片原町駅>
 ことでん(高松琴平電気鉄道)志度線−琴平線
 料金 310円
 URL  http://www.kotoden.co.jp/publichtm/kotoden/time/

【お宿メモ】
[宿泊先]オークラホテル高松
[宿泊費] 5930円(朝食付)
 高松市城東町1丁目9番5号
 087-821-2222
 http://www.okurahotel-takamatsu.co.jp
 高松琴平電気鉄道琴平線の片原町駅から徒歩数分にあるリーズナブルなホテル。片原町から瓦町一帯は高松市の中心部なので、飲食店なども豊富。コインランドリーは数が少ないので、街中で済ませた方が便利。

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