赤い鳥居はお寺のシンボル

 この日は午前7時に遍路宿もやいを出発し、北宇和島駅からJR四国予土線にひと駅だけ乗り、務田駅で下車しました。この駅名も難読で「むでん」と読みます。務田駅から田園地帯を20分ほど歩くと第41番札所・龍光寺に着きます。

 階段を上って龍光寺の境内に入ると、まず目に飛び込んでくるのは、本堂と太子堂を隔てる階段の上に鎮座する稲荷社の赤い鳥居でしょう。十一面観音をご本尊とするお寺の境内のど真ん中にお稲荷さんが祀られているというのは、何とも不思議な構図です。四国八十八ヶ所の霊場には神仏習合の歴史を持つ札所がいくつもあり、明治期の神仏分離令と廃仏毀釈の嵐で大きなダメージを受けた札所も枚挙にいとまがありません。それなのに、この龍光寺でこれほど堂々と観音様とお稲荷さんが同じ敷地に同居しているのは、どういうわけなのでしょうか。

第41番札所・龍光寺に着いたお遍路さんは、正面の赤い鳥居に向かって階段を登っていく

 説明板を読んでみると、境内のど真ん中にある稲荷社はもともとご本尊を祀っていた本堂があったところで、神仏分離令を受けて、本堂を一段低い現在の位置に新設したといいます。龍光寺の山号は稲荷山。江戸時代までは御本尊とお稲荷さんを一緒にお祀りしていて、まさにお寺と稲荷社が一体だった、ということですね。

龍光寺の稲荷社からは穀倉地帯が一望できます

 龍光寺の稲荷社にもお参りしてみるととても展望がよく、眼前には豊かな穀倉地帯が広がっていました。龍光寺がある場所はこのあたりのどこからでも見える高台になっています。こうした風景をみていると、この一等地に祀られた十一面観音とお稲荷さんは、どちらも地元の人々からとても大切にされてきたことが伝わってきます。龍光寺にみられる暮らしに根差した神仏習合の姿は、日本人の宗教感覚に無理なくなじんできたのでしょう。

 龍光寺から40分ほど歩き、道路脇に立派な仁王門が見えると、そこが第42番札所・仏木寺でした。境内には、見事な楠の大樹がそびえています。この札所には弘法大師が牛の背に乗ってやってきたという一風変わった伝説があるそうで、御詠歌もユニークです。「草も木も 仏になれる 仏木寺 なを頼もしき 鬼畜人天」。最後の鬼畜人天は、餓鬼道、畜生道、人間道、天道を意味するそうですから、六道に迷う衆生にとっては頼もしい霊場といった意味合いなのでしょう。

 さきほどの龍光寺といい、仏木寺といい、同じ四国八十八ヶ所のなかでも、地元の人たちの暮らしにぴっちりと密着した霊場という印象を受けます。空海が虚空蔵求聞持法を極めようとした室戸岬のようなストイックで求道的な霊場の雰囲気とはずいぶん違います。空海が若き日の著作「三教指帰」に記した厳しい行場としての四国霊場というよりも、「杖で叩いたら水が出た」とか「触れたら病気が治った」といったスーパーマンのような弘法大師への信仰が暮らしの中に溶け込んでいる空間といった感じが濃厚です。

第42番札所・仏木寺の境内では、大きな楠が参拝者を見守っていました

 平安時代初期に難解な密教を中国大陸から招請して独自に体系化した空海が、数百年後になって市井の人々に愛される弘法大師へと変容していく過程は、作家・高村薫が共同通信社経由で全国の地方紙に連載した記事をまとめた著書「空海」(新潮社)の「第6章 空海、弘法大師になる」「第7章 高野浄土」で平明に描いています。

 関連書籍や最近の研究を渉猟した高村は、「空海が没して以降、数百年にわたってその著作が宗派内でひもとかれた形跡がない」という驚くような研究があることや、空海の入滅から百年間に空海の残像が高野山から消えてしまったことから、高野山大学の若手研究者たちがこの時期を「暗黒の百年」と呼んでいることを紹介。空海の死後80年経つと、京都の東寺で空海の肖像画を本尊にした「御影供」(みえいく)の法要が行われるようになって空海の神格化が始まり、そこから火葬され荼毘に付されたはずの空海がいまも高野山奥の院に生きているという「入定留身説」につながっていたことを簡潔に説明しています。やがて密教の道場であったはずの高野山が浄土信仰の霊場となり、やがて高野聖によって弘法大師信仰とともに全国に広げられていくわけです。 [amazonjs asin=”4103784083″ locale=”JP” tmpl=”Small” title=”空海”]

 そうした弘法大師信仰について、高村は「弘法大師に庶民性があったというより、無名の聖と民衆の尽きない信心が弘法大師に乗り移り、庶民に親しまれる『お大師さん』を生み出したのだと思えてならない」と、作家らしく実にわかりやすい言葉でまとめています。空海という歴史上の人物と庶民に親しまれる「お大師さん」はまったく別物で、弘法大師信仰は民衆の期待から生み出され、高野聖たちが中世以降に広めた信仰だということです。

 四国八十八ヶ所を巡礼していると、こうした「お大師さん」への信仰がいま暮らしの中に息づいていることをしばしば実感させられます。なかでも、この龍光寺や仏木寺のある愛媛県宇和島市あたりから空海の生地である香川県善通寺市あたりまでの穀倉地帯や、徳島県の鳴門市から吉野川市にかけた吉野川流域には、そうした気配が濃厚で、その遍路道には、アニミズムを感じさせる自然信仰や現世利益を求める民衆の願いを感じさせるスポットがいまもあちこちに点在しています。

 高野聖の姿はもはや歴史の彼方に消えてしまいましたが、団体のお遍路さんを案内する先達(せんだつ)さんからは、信心深い民衆にお大師さんへの信仰を広めた高野聖につながる体温があるのかもしてません。そう考えると、やっぱり四国八十八ヶ所は、現代社会のなかで特別な空間なのだな、としみじみ感じさせられます。

【第16日 午前の部】
[歩いた日] 2016.10.16 日曜日
[コース] 北宇和島-龍光寺-歯長峠-明石寺-卯之町駅-JR松山駅
[天気] 曇り
[歩行距離] 20.0km
[歩数] 2万5747歩

【利用した公共交通機関】
 <北宇和島-務田>
 JR四国 宇土線  220円(四国西南周遊レール&バスきっぷを使わない場合)
 http://www.jr-shikoku.co.jp/01_trainbus/jikoku/

Share

おすすめ