お遍路さんの成り立ち

 背中に南無大師遍照金剛と大きく墨書きされた白衣に身を固め、菅笠をかぶり、金剛杖を片手に四国八十八ヶ所のお寺を順番にお参りするひとたち。お遍路さんに対する一般的な説明はこんな感じではないでしょうか。

 四国八十八ヶ所霊場をめぐるお遍路さんの歴史は古く、八十八ヶ所霊場を定めたとされる弘法大師空海の時代から数えても1200年を越えています。四国の海岸線を歩いて回って修業するひとたちは、空海の時代よりも以前から存在したとも言われており、その起源はわかりません。平安時代末期に編まれた「今昔物語集」や「梁塵秘抄」には、こうした海岸線をたどる修行者の姿が描かれており、これらが文字に残されている最も古い記録とされています。

 宗教民俗学者の五来重は著書「四国遍路の寺」(上下、角川ソフィア文庫)四国遍路の寺 上 (角川ソフィア文庫)で、四国に限らず、熊野や能登などでも海岸線を歩いて回って修業するひとたちが古代から存在していて、海や山に神聖なものを感じる日本人の自然信仰と密接に関わっていることを指摘してしています。青年時代の空海もそうした古来の修行者がたどった道筋を歩き、実家のある善通寺から第12番札所・焼山寺や第21番札所・太龍寺などを経て御厨人窟のある室戸岬に通ったのではないか、というのが五来の推測です。その後、空海の足跡をたどる修行者が増え始め、だんだん四国遍路の原型ができていった、と考える専門家が多いようです。

 こうした修行者が通う行場がだんだん姿を変え、市井の人々が四国八十八ヶ所の札所を順番に回って納経する現在のスタイルが固まっていったのは江戸時代とされています。江戸時代は「お伊勢参り」をはじめ、神社仏閣をお参りする団体旅行がレジャーも兼ねてそれまでにないくらい盛んになり、四国八十八ヶ所を巡礼するひとたちも急増しました。

 四國遍禮道指南 全訳注 (講談社学術文庫)四国八十八ヶ所巡礼のガイドブックも出現し、明治時代まで読み継がれるベストセラーになっています。それは眞念という僧侶が貞享4年(1687)に書いた「四國遍禮道指南」(しこくへんろみちしるべ)で、現代語訳や語釈を加えた文庫版が講談社学術文庫から刊行されています。

 このガイドブックには、各札所の場所や本尊とともに遍路道のルートが説明されているのですが、そこには現代の札所や遍路道と重なる描写があちこちに散見されます。江戸時代の四国八十八ヶ所巡礼の姿が地続きで現代までつながっていることがよくわかり、歴史好きのお遍路さんにとっては好奇心を満たしてくれる一冊です。

 眞念のプロフィールはよくわかっていません。四国八十八ヶ所を二十回前後巡った僧侶だそうで、土佐清水市の伊豆田峠近くには眞念が建てたとされる真念庵が番外札所として伝わっています。

第18番札所・恩山寺の太子堂では、30代ぐらいの男性グループが唱和して読経していた

 明治維新を迎えると、神仏分離令と廃仏毀釈の影響で札所のお寺が衰退したり、四国八十八ヶ所を巡礼するお遍路さんが減ったりした時期もあったようです。一方で、数十年前までは差別を受けて行き場のなくなったハンセン病患者などの病人が遍路道を歩き続けるということもあったと聞きます。また、物乞いをしながら遍路道を歩き続け、「辺土」(へんど)とか「乞食遍路」と呼ばれる人たちも昔から存在していました。

 四国遍路―さまざまな祈りの世界 (歴史文化ライブラリー)巡礼を専門とする宗教学者の星野英紀は著書「四国遍路 さまざまな祈りの世界」(吉川弘文館、浅川康宏との共著)で、「日本の宗教空間では、江戸期から近代にかけて、社会的弱者をこれほど受け入れるところは四国遍路以外にはなかったのではないか」と、四国遍路の特殊性を指摘しています。

 なぜ四国八十八ヶ所巡礼が病人や物乞いなどの社会的弱者を受け容れてきたのか。これだけでも社会学的な研究ができそうなテーマですが、その理由を上手に説明した書物などはなかなか見当たりません。ただ、多くの専門家は、お遍路さんをもてなす「お接待」が四国の人々にいまも根付いていることや、四国遍路にどこか死のイメージがつきまとうことと関係があると考えています。そのあたりは四国八十八ヶ所巡礼が持つ特殊性であり、日本人が1200年以上にわたって持ち続けてきた四国八十八ヶ所巡礼の特別な存在感とつながっているのかもしれません。

 物乞いをしながら遍路道を歩く人たちは少数ながらいまもいるようで、ある遍路宿のおかみさんは「ごく最近、呼び鈴が鳴ったので玄関に出ると、汚れた白衣をきた男性が立っていて、『なにか食べさせてくれませんか』と頼まれた」と話してくれました。このおかみさんは「お接待はこちらから自発的にやるもので、相手から請われてやるものではない」というご自身の考えからお断りしたとのことでした。行く当てがなくなったひとが四国遍路を歩き続けるという話は、このほかにも何度か聞きました。社会的弱者を受け容れる空間という四国八十八ヶ所巡礼のひとつの側面は、現代社会のなかで薄まりつつあるとしても、いまも静かに受け継がれているような気がします。

 起源がわからないほど昔から続く海岸線をたどる修行者に始まり、江戸時代に札所めぐりの隆盛を迎え、近代に至るまで社会的弱者を受け容れ続けてきた四国八十八ヶ所巡礼の歴史は、戦後のモータリゼーションによって大きく変化しました。昭和30年代から40年代にかけてバスツアーが普及し、マイカーによる巡拝も増えたことで、四国八十八ヶ所霊場を巡るお遍路さん全体の人数が大幅に増加しています。その結果、長い四国遍路の歴史の中で、お遍路さんと言えば歩き遍路を意味した時代は終わり、いまでは歩き遍路はお遍路さん全体の1割にも満たない人数になりました。こうして現代のお遍路さんのスタイルが成立したわけです。

 <ご参考>
 四国遍路の歴史については、こちらのサイトに詳しい説明があります
   お遍路のススメ http://maenaem.com/henro/sp.htm

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One thought on “お遍路さんの成り立ち

  1. Pingback: 【第2番札所 極楽寺】 安産願うお大師さまがおわします – お遍路オンライン

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