空海を育んだ地縁と血縁

 善通寺の門前町を通りぬけ、JR土讃線に並行するようにしばらく歩くと、第76番札所・金倉寺(こんぞうじ)に着きます。ここは四国八十八カ所では数少ない天台宗のお寺ですが、ここも空海に縁があります。金倉寺は奈良時代に地元の有力者だった和気氏の氏寺として建立され、空海のお姉さんが嫁ぎました。生まれた息子が後に天台宗の高僧となる円珍で、空海の甥にあたります。ただ、姪の息子という伝承もあるそうなので、確実なことはわかりません。

 円珍は、空海と同じく海を越えて唐に求法の旅を行っています。平安初期の渡唐は命がけだったはずですから、そういう志の高い人物がこの界隈から何人も出るというのは、ちょっと特別な風土だったのかもしれません。渡辺照宏・宮坂宥勝の労作「沙門空海」(ちくま学芸文庫)によると、空海の母方である阿刀氏は帰化人の氏族とみられ、少年期の空海に薫陶を与えた母方の叔父、阿刀大足は桓武天皇の皇子である伊予親王の侍講となった識者でした。先に書きましたように、空海の父方である佐伯氏は蝦夷と関係のある氏族とみられていますから、善通寺近郊の一帯は当時、先進技術に敏感で多文化的な感覚をもった知的な人たちが暮らしていたのではないかと考えたくなります。それが空海という天才を育んだ土壌だったと思えます。

 宗教民族学者・五来重の著書「四国遍路の寺」(角川ソフィア文庫)によると、金倉寺には「金蔵寺文書」という中世の文書が多数伝わっています。そのなかには金倉寺の縁起もあって、奈良時代初めに和気氏の当主だった道善というひとが仏を刻んで祀ったのが始まりだそうです。道善は景行天皇から13代の子孫といいますから、地方豪族としては血筋がよかったのでしょう。この道善の息子に空海のお姉さんが嫁ぎ、円珍が誕生したということになります。唐から帰国した智証大師・円珍は、実家であるこの金倉寺にしばらく滞在したそうで、後年になって天台宗寺門派の開祖となり、智証大師の諡号を送られています。

 時代はずいぶん違いますが、日露戦争で有名な乃木希典大将も善通寺市にあった第11師団の師団長を務めていた明治31年から3年間にわたって金倉寺の庫裏に滞在した、と説明板に書いてありました。

第76番札所・金倉寺では、団体のお遍路さんがきちんと整列してお参りしていました

 隣町の多度津にある第77番札所・道隆寺も金倉寺と同じく和気氏の影響下にあったお寺で、平安初期には高僧たちが次々と住職を務めています。寺の名前にもなった和気道隆に続き、第2世住職が道隆の息子で空海から受戒を受けたという和気朝祐、第3世は空海の実弟で当時の権力者だった藤原良房から厚い信任を受けていたと伝わる法光大師・真雅、第4世は金倉寺で生まれた智証大師・円珍で、第5世には天智天皇の血を引き役小角に私淑して真言宗小野派と当山派修験道の祖となった理源大師・聖宝が続きます。

 当時の宗教界では、きらぼしのような名前が目白押しで、いずれも讃岐に地縁血縁を持つ人物ばかり。やはり当時の讃岐には宗教家のゆりかごとなる土壌があったのではないかと考えたくなります。

第77番札所・道隆寺

 道隆寺のお参りを終えたところで午後5時になりました。この日の行動も終わりです。週末のためか善通寺市の宿がみつからなかったので、坂出市のホテルに泊まることになりました。鉄道で坂出駅まで移動し、翌日にまた宇多津駅まで戻って第78番札所・郷照寺に向かうことにします。

【第22日 午後の部その2】
[歩いた日] 2016.10.22 土曜日
[コース] 善通寺市内-弥谷寺-善通寺-金倉寺-坂出市内
[天気] 雨ときどき曇り
[歩行距離] 22.7km
[歩数] 2万9229歩

【利用した公共交通機関】
 <多度津駅ー坂出駅>
 JR四国 予讃線
 料金   260円

【お宿メモ】
 [宿泊先]ホテルニューセンチュリー坂出
 [宿泊費] 5,280円(朝食付)
   香川県坂出市久米町1-25-8
   TEL  0877-45-1180  
  URL   http://www.nc-sakaide.com/?sp=9

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