町石道を歩く(2)紀ノ川を一望

 九度山の慈尊院から町石道(ちょういしみち)につながる石段を登り始めると、石段中ほどの右側に最初の町石があります。今年9月放映のNHK番組「ブラタモリ」で取り上げていましたので、ご記憶にある方もいらっしゃるでしょう。ここが百八十番の町石で、ここから高野山の壇場伽藍まで1町(約109m)ごとに町石が整備されています。

 石段を登り切ると真正面に丹生官省符神社が鎮座しています。この神社は弘法大師空海が高野山の開創にあわせて地主神だった丹生都比売(にうつひめ)と高野明神を祀ったものです。もともと慈尊院よりも紀ノ川の岸に近い位置にあったそうですが、水害で壊れてしまったため、現在の場所に移されたと伝わっています。官省符なんて、役所みたいな名前だなあと思ってちょっと調べてみました。高野山は江戸時代まで紀ノ川流域に広大な領地を持っていて、そこから上納される年貢が大きな収益源だったわけですが、そのうち、現在の九度山町やかつらぎ町、橋本市あたりの領地が官省符荘と呼ばれていたそうです。神社の名前と関係がありそうですが、詳細はわかりませんでした。

 慈尊院は空海が高野山を開創したとき物資などを運び込む建設拠点となり、その後は高野山金剛峯寺の政所(まんどころ)が設置され、高野山の運営を支えました。慈尊院は領地の管理など高野山の行政機関のような役割も持っていたわけですから、明治維新で神仏分離令が出されるまでは丹生官省符神社もその一部のような存在だったのかもしれません。

慈尊院の石段を登り、丹生官省符神社に参拝。ここから町石道が始まります

 丹生官省符神社の先にはきれいな水洗トイレがありました。町石道が世界遺産に指定されたおかげで案内板やトイレの整備が進んだのはありがたいことです。ここから坂道が始まります。慈尊院がだいたい標高90mにあり、標高500m前後まで一気に登ります。歩き始めたばかりでペースがつかめないとけっこう息が切れます。けれども、いったん500m前後まで登ると、そこから車道と交差する矢立あたりまでほぼ平坦な道が続きます。ここが町石道のユニークなところなのですが、慈尊院から高野山の表玄関にあたる大門まで歩いて6時間あまりかかる全行程のうち、だいたい三分の一が平坦な道になっています。

 地図をみると、町石道は九度山から高野山まで大きな弧を描くように道が続いていて、決して最短ルートをたどっているわけではありません。どうして空海はこんな遠回りの道筋を選んだのか、私は不思議に思っていました。

 ひとつの理由として、高野山の開創にあたった空海は、それ以前に高野山一帯を治めていた丹生祝氏(にうほうりうじ)から天皇の勅命というかたちで土地を譲ってもらったことから、壇場伽藍に丹生祝氏の氏神だった丹生都比売を祀るなど深い敬意を示していますので、その丹生祝氏の拠点だった天野の里と土地神の丹生都比売神社を通って高野山に至るルートを作り、高野山に入るひとたちが土地神に感謝しながら歩くように仕向けたのかもしれないな、と勝手に想像していました。

 でも、もうひとつの理由があることが、実際に町石道を歩いてみて、よくわかりました。これは空海研究者の竹内信夫が著書「空海入門」(ちくま学芸文庫)で指摘していることですが、「全行程の三分の一にあたる距離が平坦であるということは、往来には、特に荷物の運搬には極めて有利な条件」なのです。高野山のような山深いところに物資を運搬するためには、山谷を越えてアップダウンの多い道筋を選ぶよりも、平坦なルートのほうがはるかに効率がいいというわけです。讃岐の満濃池を修復するなど土木技術にも明るかったという空海の合理的な考え方が町石道のルート選びにも反映されているような気がしました。

 平坦な距離が長いという町石道の特徴は、最近、思わぬファンを増やしているようです。それは、山道をジョギングしながら登っていくトレイルラン。私が六本杉で休憩していると、ジョギング姿の男女が軽やかに追い抜いていきました。たしかに、町石道のようになだらかな山道は、トレイルランにぴったりかもしれません。徒歩で6、7時間かかる町石道20kmの道程ですが、トレイルランのランナーたちは早い人で2時間から3時間で駆け上がってしまうそうです。

息を弾ませながら登っていくと、道筋に町石が次々とあらわれます。彫られた漢数字を思わず数えてしまいます

 そんな町石道ですが、慈尊院から歩き始めてしばらくは、どんどん高度を稼いでいきます。歩き始めて30分あまり、斜面に柿畑の中があらわれてくると、右側の展望が開けてきます。あと一息がんばって、町石道が折り返すようにカーブするところにたどりつくと、ちょっと先にすばらしい展望台がありました。

 眼下には蛇行する紀ノ川の姿がよく見えます。ここから眺める紀ノ川や青空は、1200年前に空海が眺めた景色に重なるのでしょうか…。紀ノ川の奥に見える山々は空海にとっては若い頃から修行のために渉猟したなじみ深い山々なのかもしれません。展望台には東屋とベンチもありますので、一休みするのにぴったりの場所です。

166町石の先にある展望台から紀ノ川を一望。この広がりは空海の時代から変わらないのでは…

 町石道の歩行ルートは、和歌山県観光協会によるガイドが参考になります。地図のPDFファイルをスマホにダウンロードしておくと便利です。
 高野参詣道(1) https://www.wakayama-kanko.or.jp/walk/koya/kudoyama.html

[歩いた日] 2017.9.29
[天気]   晴れ

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