空海の息吹を伝える三十帖冊子

 東京国立博物館で開催されている特別展「仁和寺と御室派のみほとけ」に行ってきました。会場では通常非公開となっている京都・仁和寺の観音堂が再現され、千手観音を中心に三十三体の仏像と精緻な壁画が目の前に迫ってきます。この展示だけは撮影OKになっていて、インスタ映えすること、この上なしです(笑)。

特別展「仁和寺と御室派のみほとけ」の会場に再現された仁和寺観音堂の雷神(右)など

空海の鮮やかな筆使い

 さて、この特別展で強い印象を受けたのは、なんといっても三十帖冊子の全冊公開でした。三十帖冊子は平安初期、求法のため遣唐使の一員として唐に渡った空海が長安滞在中に制作した経典集です。

 印刷技術が発達していない時代ですから、必要な経典はすべて墨と筆で書き写すしかないわけで、空海本人だけでなく、遣唐使に同行していた橘逸勢や現地の写経僧たちが筆写しています。書の達人でもある空海の行書と楷書を伝える真筆としても有名です。特に行書は空海の鮮やかな筆使いが魅力で、いまも書道のお手本となっているそうです。

 実物を間近でみると、コンパクトなサイズに小さな文字でびっしりと経文が書き込まれていることに、まず驚かされました。かたちは正方形に近い布表紙の冊子で、大きさは折り紙ぐらいでしょうか。なかでも唐代の写経僧が書いたとされる部分は、非常に細かな楷書で書かれています。

 なぜ、これほどコンパクトな経典集を作ったかというと、やはり携帯に便利だからでしょう。この三十帖冊子は空海が生涯手元に置いて繰り返し開いた経典集だと考えられています。

三十帖冊子第五帖の仁王般若経陀羅尼(冒頭部分)=図録「仁和寺と御室派のみほとけ」(読売新聞社発行)より

密教の最前線を描き出す

 書写された経典の多くは、空海に伝法灌頂を授けた師僧、恵果(746~806)がみせてくれたものだそうです。その多くは、当時の日本にはまだ伝わっていなかった密教の最前線を描き出すものでした。例えば、第五帖にある仁王般若陀羅尼釈は、いわゆる護国経典として知られる仁王護國般若波羅蜜多經について、漢訳者である不空本人が漢文で記した陀羅尼です。陀羅尼とはサンスクリット語の原文を漢語に音写したもので、密教の修行者は陀羅尼を繰り返し唱えたり念じることで仏道を深めていきました。

 不空(705~774)は西域に生まれた恵果の師匠で、真言八祖のうち第六祖とされます。恵果は第七祖、空海が第八祖です。不空は唐朝の帰依を集めた高僧で、当時の玄宗皇帝や楊貴妃との関わりもあったとみられます。夢枕獏さんの小説「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」では、空海は不空の生まれ変わりとして描かれていますが、護国経典を含めた不空の政治との関わり方は、帰国後の空海が平安京を舞台に当時の政治中枢と関わりながら真言教団の基盤を固めていったときに大いに参考になったのではないでしょうか。

 空海が仁王般若陀羅尼釈を楷書で書写した806年前後は、不空がこの陀羅尼を漢語で記してから数十年しか経ってないので、もしかすると、不空自筆の陀羅尼が後継者だった恵果の元に伝わっていて、それを孫弟子にあたる空海が書写したのかもしれません。これは推測にすぎないとしても、日本に戻った空海は手元に置いた三十帖冊子を開くたびに、これを書写した青竜寺のたたずまいや、不空、恵果を経て自分に続く法灯の重みに深く思いを致したに違いないと思うのです。

 1200年前の長安は当時世界最大級の国際都市。その一角で、新しい世界観を描く経典に魅了された空海たちは寝る間も惜しんで書写を続けたそうです。今回の特別展で三十帖冊子を眺めていると、この小さな文字たちと一緒に空海たちの息吹が今も立ち上がってくるような気がして、何度も列の後ろに並んで展示に見入ってしまいました。

  三十帖冊子を書写する空海たちの様子は、空海と最澄を描いたおかざき真里さんのコミック「阿・吽」第7巻(小学館)にも出てきます。会場のギフトショップでは阿・吽とのコラボグッズが販売されていましたよ。

三十帖冊子第二十三帖に記されている空海の行書=同上

数奇な運命をたどった国宝

 この三十帖冊子は数奇な運命をたどって仁和寺に伝わっています。空海が活躍した時代が終わると、真言宗の拠点だった東寺と高野山がこの三十帖冊子を奪い合い、東寺の指導者だった観賢が朝廷をバックにつけて高野山に返還を迫った結果、高野山は当時の座主が下山して伽藍も荒廃する約100年間の「暗黒時代」を迎えます。観賢は高野山で空海の廟に入り、そこで生き生きとした空海に会ったという体験を語り、これが空海の入定信仰につながって、高野山は浄土信仰と結び付きながら徐々に勢力を盛り返していくのです。

 さらに平安末期になると、仁和寺の守覚法親王が東寺から三十帖冊子を借覧したまま返さないという事態が起きました。仁和寺は門跡寺院として朝廷に近かったためか、東寺からの返還要求を断り続けて現代に至り、三十帖冊子は仁和寺が所蔵する国宝として今回の特別展にも出展されたというわけです。

 展示されていた三十帖冊子は撮影禁止でしたので、特別展の図録「仁和寺と御室派のみほとけ」(読売新聞社発行)を購入してiPhoneで写してみました。三十帖冊子の全帳公開は1月28日で終了しましたが、みどころの一部は3月11日までの会期末まで展示されているそうです。

 特別展「仁和寺と御室派のみほとけ」 ➡ http://ninnaji2018.com

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