善通寺界隈 お大師さまの故郷に遊ぶ
小雨まじりの静かな午後、第74番札所・甲山寺に着きました。このあたりの風景は、空海にとって幼少期の記憶と重なる景色だったのかもしれません。
空海生誕の地として伝わっている場所は2カ所あります。ひとつは第75番札所・善通寺の御影堂(大師堂)で、ここに空海の実家である佐伯氏の屋敷があったとされます。もうひとつは瀬戸内海に面した四国別格二十霊場第十八番札所・海岸寺で、善通寺と海岸寺の両方に産湯の井戸が伝わっています。
その善通寺と海岸寺を結ぶ通り道に甲山寺があります。善通寺と海岸寺はどちらも空海に縁の深いお寺ですから、その道すがらにあたるこのエリアは空海にとっては幼い頃から慣れ親しんだ土地だったのだろう、というわけです。空海は兄2人が先に亡くなっていたこともあって佐伯氏の後継者として大切に育てられたと言われます。もしかしたら生母の玉依御前と一緒にこのあたりで遊んだ記憶などが空海の脳裏にあったのかもしれません。
縁起によると、甲山寺は壮年期になった空海が第72番札所・曼荼羅寺と善通寺の間にお寺がほしいと思いながら歩いていると、岩窟から老人が現れてここにお寺を建てるよう告げた、とされています。このあたりにお寺がほしいと空海が考えたというエピソードからみても、甲山寺建立は真綿に包まれるように大切に育てられた幼少期の記憶が背景にあったのではないかと思いたくなります。
甲山寺から弘田川に沿って歩き、民家が増えてくると、すぐに第75番札所・善通寺の門前町になります。善通寺の境内は本堂のある東院と御影堂(太子堂)のある西院に分かれており、そのうち西院の玄関口に仁王門があります。仁王門から大師堂にあたる御影堂まで屋根付きの回廊が続いており、雨の日にはとても助かります。
この西院はもともと空海の生家である佐伯氏の邸宅があった場所で、現在の御影堂のある場所に空海の生母である玉依御前の部屋があり、そこで空海が生まれたと伝わっています。その後、渡唐を終えた空海にいまの境内となっている土地が寄進され、空海の実父の諱(いみな)である「善通(よしみち)」から善通寺と名付けられたそうです。
四国八十八カ所の札所となるお寺には本堂と大師堂があり、お遍路さんはその両方をお参りするのが慣わしですが、善通寺では大師堂のことを御影堂と呼びます。こうした呼び方にも空海の生誕地であり、弘法大師信仰の総本山という自負が潜んでいるような気がします。
善通寺の見所は多々ありますが、お遍路さんにとっては宿坊である「いろは会館」も有名です。とても人気がある宿泊施設で、私がお参りしたときにも満室で泊まれませんでした。善通寺には門前町を含めて、1200年前に活躍した弘法大師を慕う熱量がいまもあちこちに溢れているように思えます。
【第22日 午後の部その1】
[歩いた日] 2016.10.22 土曜日
[コース] 善通寺市内-弥谷寺-善通寺-金倉寺-坂出市内
[天気] 雨ときどき曇り
[歩行距離] 22.7km
[歩数] 2万9229歩