神社とお寺の距離

 遊庵ではオーナー夫妻のあふれるようなホスピタリティとおいしい食事でとても快適に過ごすことができました。お風呂は宿泊客ひとりが使い終わるたびに掃除してお湯を入れ替えてくれるし、客室やベッドのシーツは清潔感たっぷり。食事は家庭的でありながらもひと手間をかけた料理が並び、外食が続きがちな歩き遍路にとっては、うれしいおもてなしとなっています。今回は歩き遍路と遍路宿の魅力にハマっているひとり旅の男性2人と同宿だったので、夕食のときにはおかみさんを交えて大いに話が弾みました。客室が2階の3室だけなので満室のことも多いようですが、歩き遍路たちに人気が高い宿というのも納得できます。翌朝は朝食が午前6時15分に始まり、午前7時にはオーナー夫妻の笑顔に見送られて出立となりました。

戸板島橋から物部川を望む。青空の下、朝の冷気が爽快です

  遊庵のある香南市から第29番札所・国分寺に向かう道筋は朝の冷気が心地よく、田園風景のなかで空がぐんと大きく感じられます。前日まで雨に悩まされてきたのが信じられないほど、気持ちのいい青空が広がっていました。爽快な気分で歩くうちにやがて物部川にかかる戸板島橋を渡り、香美市に入りました。香美という地名は「かみ」と読みます。

 木立に囲まれた土佐の国分寺は、山門から本堂までまっすぐに石畳の長い参道が伸びていて、境内全体がひとつの庭園のように整備されていました。しだれ桜をはじめ、よく手入れされた庭木があちこちにあるので、花の季節には境内が華やぎそうです。杉苔が美しい一角もあり、「土佐の苔寺」と呼ばれることもあるらしい。

第29番札所・国分寺の山門。境内は庭園のように美しく整備されています

 高知医大の横を通り、蒲原遍路小屋で一休み。ここも四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクトの一環で、隣接する工場が敷地の一部を提供してくれたそうです。工場にお願いすれば、トイレも貸していただけるとの案内が書いてありました。ここから緩やかな坂を登り、逢坂峠を越えると高知市内に入ります。自動車の通行量が多い道筋をしばらく下ると、土佐一宮の土佐神社と第30番札所・善楽寺に着きました。

 四国には神仏習合の寺社があちこちにみられ、お寺がかつて神社の別当寺として栄えた、という歴史をよく聞きます。平安時代から江戸時代まで、大きな神社では、お寺が社務所のような役割を果たしていたということでしょうか。土佐神社と善楽寺は、土佐神社の境内の一角に善楽寺があるような位置関係になっています。善楽寺はもともと土佐一宮の別当寺として創建され、明治初期の神仏分離と廃仏毀釈の荒波にもまれるなかで一時は廃寺とされる憂き目にあったそうです。江戸時代のロングセラーだった四国八十八ヶ所巡礼のガイドブック「四國遍禮道指南」(しこくへんろみちしるべ、講談社学術文庫)をみると、江戸時代の四国八十八ヶ所巡礼の札所は、現在のようにお寺ばかりではなく、神社もいくつか含まれています。そのくらい四国霊場の歴史では神社とお寺の距離が近かったことがわかります。

 四国の霊場で神社とお寺の距離が近いのは、空海の宗教観とも深い関係があるように思えます。空海は四国で修業していた青年時代に無名の僧から教わって密教に出会いますが、その前から黒潮が打ちつける室戸岬や太龍寺近辺の滝があるような山奥で修業を続けていました。ですから、自然信仰に根差した日本人古来の宗教的な基盤を濃厚に持っていたと思われます。

堂々とした土佐神社の社殿。境内は幕末維新期を描いたドラマの撮影などでもよく使われるそうです

 空海が高野山を開創したときも、地元の土地神に道案内を頼んだところ、土地神は「自分たちを丁寧に祀ってくれるのなら協力する」と引き受けた、というエピソードが残されています。その土地神を祀った神社がいまの丹生都比売神社です。新しい事業を始めるときに、既得権を持つ地元有力者の協力を得るという空海の政治的な手腕も感じさせるエピソードでもありますが、異なる宗教が出会うときに、排他的な態度ではなく、神仏を習合していくという空海の考え方は、その後の日本人の宗教観に大きな影響を与えたのではないでしょうか。丹生都比売神社の後背地にあたる尾根には、ふもとの九度山から高野山に登る町石道という古道が通っていますので、空海が約束通り以前から高野山に鎮座していた土地神をメーンルートの近くに手厚く祀ったことがわかります。

 そんな宗教観を持った空海が1200年あまりもたったいまも弘法大師として信仰を集める理由として、空海の足跡をたどった著書もある作家の高村薫は「(空海は)日本列島の神様と、仏様をくっつけたと言うこともできる」とインタビューで語っています。実際、四国八十八ヶ所の霊場を歩いていると、そうした空海の宗教観がとても身近に感じられる場面にたびたび出会いました。そうした自然信仰をベースにした神仏習合のあり方は、豊かな四季を持つ日本の風土に育まれた日本人の死生観に、よくなじんできた気がします。

 現代に生きる多くの日本人は、正月は神社に初詣に行き、お盆には祖先をしのび、クリスマスはお祭り気分で祝って、葬式はお寺のお坊さんに頼みます。このため、日本人の宗教意識がいいかげんだと言われることもありますが、そういう意識は、多くの日本人に歴史的になじんできた自然信仰をベースにした神仏習合の延長にあるのだと考えれば、ごく自然に多くの日本人が納得するできるのではないでしょうか。空海はそうした現代にも通じる日本人の宗教意識を方向付けた人物のひとりと言えそうです。

 四国八十八ヶ所の遍路旅はそういう日本人の死生観を改めて考えたり確かめたりするために格好の舞台装置となっています。21世紀の平成時代になっても、都会暮らしの人々を中心に、忘れていたなにかを確かめ、心の豊かさを味わいたいと考え、いつか四国八十八ヶ所霊場を歩いてみたいと志向する人が多いのは、日本列島の風土のなかで長い時間をかけて日本人が育んできた死生観と素直に向き合う時間と場所が四国遍路にあることが直感的にわかっているからかもしれません。

 この日は高知市内のホテルに泊まるつもりだったので、善楽寺の最寄駅であるJR土佐一宮駅からJR高知駅まで鉄道に乗り、高知駅のコインロッカーに重たいリュックサックを預けて、午後は身軽になって歩くことにしました。

【第10日 午前の部】
[歩いた日]2016.10.10
[コース]遊庵-国分寺-土佐一宮神社-竹林寺-禅師峰寺-高知市中心部
[天気]晴れ
[歩行距離]27.2km
[歩数] 3万3844歩

【利用した公共交通機関】
 <区間>
 JR四国(土佐一宮-高知)
 料金 210円
 http://www.jr-shikoku.co.jp/01_trainbus/jikoku/

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