神仏習合の歴史ある霊場

 高知県室戸市吉良川。蚊帳のなかで眠った蔵空間茶館の一夜は、子供のころの記憶をたどるような、不思議な時間でした。和室の障子を閉めて寝たのだが、エアコンもサッシもないので、外の気配が寝屋のなかに濃厚に伝わってきました。降ったりやんだりだった雨の気配や風の音が間近に感じられ、それに遠くから届く波の音が重なる。そして、南国土佐らしい湿り気のある空気が、しっとりと肌にまとわりついてくる。漆原友紀が描く人気コミック「蟲師」(むしし)の舞台になりそうな古民家の夜を思わせるというと、いささかオーバーすぎるでしょうか。こういう感覚はずっと以前にはわりと身近にあっ たような気もするのですが、首都圏のマンションで暮らすいまの私にとっては、すっかり忘れ去っていたものでした。

蔵空間茶館で、布団のうえに吊ってくれた蚊帳(かや)。空調やサッシがないので、外の気配が濃厚に伝わってきました

 蔵空間茶館の朝食はパンとたっぷりの野菜、淹れたてのコーヒーがおいしかった。昨夜から続く雨がなかなか止まないので出発を遅らせ、オーナー夫妻とあれこれ話し込んでしまいました。午前9時すぎのバスに乗り、第27番札所・神峯寺(こうのみねじ)の登り口となる唐浜に向かいました。

 神峯寺は標高450mの神峯山中腹にあり、海沿いの唐浜から1時間20分くらい山登りをしなければなりません。途中から勾配がきつくなるので、「遍路ころがし」と呼ばれる難所のひとつに数えられています。唐浜東バス停近くの商店がお接待で荷物を預かってくれたので、身軽になって登り始めました。

 アスファルトの車道がだんだん傾斜を強めてくると、昔からの参道となる未舗装の山道が現れてきました。ここから車道と分かれて山道を歩いたのですが、けっこう急な坂道で、小雨が降っているためとても滑りやすい。途中には石仏のほか、ユニークな石標がいくつか置かれていました。

               神峯寺に登る山道は、雨のためとても滑りやすかった

神峯寺に続く山道でみかけたユニークな石標

 汗を絞られながら駐車場を過ぎ、やがて立派な山門に着きました。右側にも急な石段があり、こちらは奥の院にあたる神峯神社に続いています。神峯寺は長らく神仏習合の霊場だったのですが、明治初めの神仏分離令で神峯神社だけが残り、神峯寺はいったん廃寺とされるという悲劇に見舞われました。明治中期には霊場として復活したそうです。説明板によると、紀元3世紀に神功皇后の勅命で天照大御神を祀ったことが起源とされ、8世紀の奈良時代に十一面観音像を本尊として神仏を合祀したとのことですから、四国でも屈指の長い歴史を持つ霊場です。

樹齢数百年の樹木に囲まれた神峯寺の境内。庭園のように整えられています

 四国八十八ヶ所霊場を回っていると、いろいろな神社仏閣をお参りすることになりますが、神社とお寺が互いに深い関係を持っている霊場が多いように思えます 。さらに言えば、もともとは山とか海とか自然信仰の対象になる聖域があり、そこに神社やお寺が建てられ、それらが渾然一体になって人々の信仰を集めてきた、という印象を受けることが多いです。

 遍路旅をスタートさせて10日間ほどになりますが、いろいろな信仰の場所を巡るうちに、神仏分離令のような極端な宗教政策よりも、縄文時代以来培ってきた自然信仰をベースにしたうえで、神様と仏様の両方を敬う神仏習合というかたちが多くの日本人にはしっくりするのではないか、という気持ちが強くなってきました。険しい山奥にありながら同時に広大な太平洋を望むことができる特別な場所に建つ神峯寺が、神社の祭神である天照大御神とお寺の本尊である十一面観音の両方を長い間大切に祀ってきたという歴史は、そんな日本人の宗教感覚を象徴しているように思えます。

 傾斜地に伽藍が並ぶ神峯寺は、石段沿いに樹齢数百年の樹木が立ち並び、境内全体が日本庭園のように美しく整備され、季節の花々があちこちに咲いています。また、納経所の近くには、清冽な水がこんこんとわき出る石清水があり、霊水として知られています。冷たい水を口に含むと、山道で絞られた汗がすーっとひいていくような気がしました。

神峯寺の石清水。霊験があるとされ、ペットボトルや水筒に汲んで持ち帰る参拝者も多い

 神峯寺でお参りを終えたころ、雨がやっとあがりました。下り坂を快調に飛ばして歩き、預かってもらっていた荷物をピックアップして唐浜駅に向かいます。この鉄道は土佐くろしお鉄道ごめんなはり線で、津波対策のため随分高い高架橋の上を一両か二両編成の列車がコトコトと走っています。鉄道名の「ごめんなはり線」は、最初は「ごめんなはり」という方言があるのかと勘違いしてしまいましたが、後免(ごめん)駅と奈半利(なはり)駅を結ぶ鉄道なので、この名前になったそうです。唐浜駅前の広場にはきれいな休憩所と水洗トイレが完備していました。ただ、「ここに宿泊施設しないでください」と野宿禁止の注意が大きく書かれていて、お遍路さんが地元の人々に迷惑をかけている一面があることに申し訳ない気持ちになりました。

 ごめんなはり線に40分ほど揺られ、野市駅に到着。そこから街中を30分ほど歩いて第28番札所・大日寺に着きました。このあたりは高知平野の縁にあたり、小高くなった雑木林の丘を登ると、広々とした境内がありました。納経所が閉まる午後5時が迫っていることもあり、参拝客の姿はちらほら。静かなお参りができました。

 大日寺から10分ほど歩いて、本日の宿「遊庵」に到着しました。頭上を見上げると雨雲はきれいになくなり、青空のなかにダイナミックな巻雲が広がっています。この日、初めて見上げた青空でした。

本日の宿「遊庵」に到着。見上げると、青空に巻雲が広がっていました

【第9日】
[歩いた日] 2016.10.9
[コース]  吉良川-(バス)-神峯寺-(鉄道)-大日寺-遊庵
[天気]   雨のち曇りのち晴れ
[歩行距離]  15.7km
[歩数]    1万9446歩

【利用した公共交通機関】
 <吉良川-唐浜東>
 高知東部交通
 料金 850円
 http://www.tobukoutsu.net/

 <唐浜-のいち>
 土佐くろしお鉄道 ごめん・なはり線
 料金 910円
 http://www.tosakuro.com/

【お宿メモ】
[宿泊先]遊庵
住所:  高知県香南市野市町母代寺507
Tel:   0887-56-4408
    http://tosaichi.jp/youan/kannai.html
[宿泊費]宿泊費6200円 洗濯100円 乾燥200円
 歩き遍路たちに人気の高い遍路宿。オーナー夫妻が細やかな気遣いとおいしい手料理でもてなしてくれます。1日3組しか宿泊できないため予約が必須で、週末やハイシーズンには満室になることも多い。

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