たどり着いた結願寺
四国八十八ヶ所巡りのフィナーレとなる第88番札所・大窪寺に続く道筋は、最後の最後でけっこう長く感じるコースです。第87番札所・長尾寺を打ち終わると、遍路道は讃岐の平野から再び内陸部の山中に向かっていきます。川に沿った県道を歩き、前山地区で旧道に入ると、だんだん目の前に山が迫ってきます。このあたりで集落が終わり、やがて前山ダムで遍路道は女体山を経由する山岳コースと、川沿いに女体山を回り込んでゆく旧道コースに分かれます。
歴史的に昔からお遍路さんが歩いてきたのは旧道コースで、私はこちらを選びました。山岳コースを歩いたひとによると、女体山は標高774mで、遍路道は山頂部を通っていることから標高差の大きな厳しいルートだそうです。ただ、ところどころ見晴らしもあり、結願に向けて達成感のある遍路道だと聞きました。
旧道ルートは川沿いの緩やかな道筋とはいえ、だらだらとしたアップダウンが4時間あまり続きます。あちこちに古い石仏があって歴史を感じさせてくれますが、それほど楽なルートではありません。ただただ黙々と大窪寺を目指して単調なアスファルトの舗装道路を歩き続けるだけです。
峠をいくつ越えたか覚えていませんが、大きくカーブした舗装道路が下り坂になり、大きなお寺がみえてきたな、と思ったら、そこが大窪寺でした。門前には土産物店とバス乗り場や駐車場が集まっていて、ちょっとした観光地になっています。最初に見えた大きな門をくぐって境内に入ったら、ここは正面ではなかったようで、いったん道路に戻ってバス乗り場の先にある階段を登り、山門(仁王門)で一礼して境内に入り直しました。やっぱりお寺や神社は正面から入場するのが気持ちいいです。
階段を登って広場で一息つくと、男性的な容貌の岩山を背景に本堂が建っていました。これで四国八十八ヶ所巡礼の結願となります。鉄道や路線バスを使いながらも、遍路道のうち520kmを25日間かけて自分の足で歩いたのですから、やっぱり達成感がありました。
開経偈から般若心経まで丁寧に読み上げ、続いて少し離れたところにある太子堂にお参りしました。太子堂のわきには、巡礼者たちが預けていった数えきれないほどの金剛杖が仏塔のように組み上げられ、供養されています。私が使っていた金剛杖も520km分だけ先が削れてきて、ちびた分だけ愛着がでてきました。
大窪寺の納経所は「結願所」となっています。ここでお遍路さんに人気なのは、なんといっても結願証明書。2000円で購入すると、窓口の女性が立派な賞状に名前と日付を丁寧に墨書きして筒に入れてくれました。いい記念になります。
大窪寺を打ち終わったお遍路さんにとって、讃岐側の志度に戻っても、徳島側の第10番札所・切幡寺方面に降りても、距離的にはそれほど違いがありません。そんな讃岐と徳島を結ぶ地理的条件を持つ大窪寺が、1000年以上も昔から四国八十八ヶ所巡礼の結願寺とされたことには、大切な理由があると思います。四国八十八ヶ所の巡礼ルートは、大窪寺までたどりつくと、そこから徳島側に降りて再びスタート地点である第1番札所・霊山寺に戻っていくように設定されているのです。
そう考えると、四国八十八ヶ所の巡礼は始まりと終わりのない無限ループだと言っていいかもしれません。苦労してやっと結願しても、そこから振り出しに戻ってまたスタート地点につながるという巡礼ルートの設定は、輪廻転生や人間の尽きることのない煩悩の姿を思わされます。お遍路さん同士で会話していると、無限ループにも思える四国八十八ヶ所の巡礼を自分の人生に重ねて考えてしまう、ということもよく聞きます。
では、そうした無限ループの巡礼にゴールはないのでしょうか。仏教の教えに従えば、それは釈尊のさとりとされる「法を知る」というところに答えを見出すべきなのかもしれません。無限ループという設定は、まさに仏教の基本的な教義である諸行無常であり、諸法無我を意味していると解釈することもできそうです。
この疑問について、空海はちょっと違う角度から、1200年もあとに同じ遍路道を巡礼する私たちに対して、ひとつの答えを残してくれているように私は思います。そのヒントは「それ仏法は遥かに非ず 心中にしてすなわち近し」という空海の言葉にある気がします。
「それ仏法は遥かに非ず 心中にしてすなわち近し」という言葉は、空海が最晩年にビギナーを意識して書き下ろした著書「般若心経秘鍵」の冒頭を飾っているもので、原文は「夫佛法非遥心中即近」とわずか9文字です。口語訳では「仏陀のさとりは決してはるか遠くにあるのではなく、自分自身の心の中に本来存在していて、きわめて近くにあるものなのです。」(加藤精一編「般若心経秘鍵」角川ソフィア文庫)となります。
この言葉をヒントに四国八十八ヶ所巡礼の意味合いを考えてみると、無限ループのような四国八十八ヶ所巡礼のゴールは、自分自身のなかにある、という答えに突き当たります。あるいは、もともと自分自身のなかにある答えを見出すために四国八十八ヶ所の巡礼コースが設定されている、ということになります。詰まるところ、四国八十八ヶ所巡礼は、ひとが自分の心を修めるための行場とでも言ったらいいかもしれません。
だからこそ、四国八十八ヶ所には明確なスタート地点とゴール地点がなく、どこから巡礼を始めてもいいし、自分のペースで巡礼すればそれでいい、とされているのではないでしょうか。ゴール地点もまた、それぞれのお遍路さんが自分で決めればいい、ということなのだと思います。
これが初めて四国八十八ヶ所を歩いてみて、自分なりにたどり着いた実感です。四国八十八ヶ所の巡礼は、時間がかかるし大変ですけど、たどったひとの生き方を磨いてくれる貴重な場所だと思います。
四国八十八ヶ所は歩き遍路で一周すると1200km前後と言われています。私の場合、歩行距離は総計524.4kmになったので、全体の43.7%を歩き、残りを電車や路線バスなどで回ったことになります。一日平均の歩行距離は20.98kmとなりました。
まあ、都会暮らしでは、こんなに歩くことはありませんね。スタートから5日目、第20番札所・鶴林寺の手前でいったん気持ちが折れ、自宅に帰ったりもしましたが、とにかく最後までたどり着けてよかったです。通算すると25日間の旅でした。
大窪寺からバスでことでん長尾駅に向かい、高松市に戻ることにしました。昭和の雰囲気を残したことでん長尾線の電車に揺られて車窓を眺めていると、もう歩かなくていいんだと思いながらほっとした一方、旅が終わってしまって寂しいような気もして、なんだか複雑な感慨に襲われました。
【第25日 午後の部】
[歩いた日] 2016.10.25
[コース] 高松市内−志度寺−長尾寺−大窪寺−高松市内
[天気] 晴れ
[歩行距離] 25.7km
[歩数] 3万3444歩
【利用した公共交通機関】
<琴電片原町駅−長尾駅>
ことでん(高松琴平電気鉄道)琴平線−長尾線
料金 440円
URL http://www.kotoden.co.jp/publichtm/kotoden/time/
【お宿メモ】
[宿泊先]オークラホテル高松
[宿泊費] 5930円(朝食付)
高松市城東町1丁目9番5号
087-821-2222
http://www.okurahotel-takamatsu.co.jp
高松琴平電気鉄道琴平線の片原町駅から徒歩数分にあるリーズナブルなホテル。片原町から瓦町一帯は高松市の中心部なので、飲食店なども豊富。コインランドリーは数が少ないので、街中で済ませた方が便利です。