足摺岬打ち戻り余話 現代のアジール体験
足摺岬から打ち戻った翌日の3月18日(月)の朝、私は民宿大岐の浜からバスと電車を乗り継いで、千葉県の自宅に帰ることにしました。朝起きると、海側の空が明るくなっていたので、屋上に登ってみると、この日もきれいな朝日が見えました。あと10分くらい早ければ「だるま朝日」がみえたそうですが、見逃してしまいました。だるま朝日は太陽が水平線から顔を出そうとするとき、海面にも太陽の姿が映ってだるま状になるもので、冷え込んだ朝にほんの数秒だけ見えるそうです。残念でした。
歩き遍路の宿では、午前6時半ごろに朝ごはんを食べ、午前7時過ぎには出立することが普通です。この日は午前8時26分発の中村駅行き高知西南交通バスに乗るつもりだったので、朝食の後、食堂でゆっくりお茶を飲んでいたら、外のベンチからおじさんが手招きしてくれました。
このおじさんは、漫画家の黒咲一人さんでした。前夜の夕食を終えたときに、民宿のおかみさんが黒咲さんの作品をみせながら、ざっと説明してくれた話によるとー。
黒咲さんは数カ月前まで足摺岬近くの善根宿でオーナーの依頼を受けて管理人をやっていたけれども、その善根宿がしばらく閉鎖することになったそうです。ここ数カ月はこの民宿で建物の補修その他の仕事をお願いしているとのことでした。ちょっと色気のある女の子のお遍路さんをキャラクターにしたイラストもときどき書いていて、3月初めには東京で作品展を開催したそうです。
食堂で黒咲さんのイラストを見せていただくと、「これはプロの仕事だなー」と一目でわかる出来映え。ネットで検索してみると「55歳の地図」という作品がすぐに見つかりました。この漫画、どこかで聞いたことがあるような気がします。さっそくKindleで購入。黒咲さんの実体験を元に描いた自伝的な作品でした。少年ジャンプなどでの連載をはじめ多くの作品を世に出してきた黒咲さんでしたが、だんだん売れなくなり、55歳の時にこれまでの作品や財産をすべて処分し、三輪自転車に荷物を積んで遍路旅に出た顛末が描かれています。
「55歳の地図」は黒咲さんのリアルな体験がふんだんに盛り込まれた作品です。それに55歳という年齢や仕事を辞めたという当時の黒咲さんの境遇は、同じ55歳で30数年勤務した会社を希望退職に応じ、こうして歩き遍路にやってきたいまの私自身とも重なります。帰る場所もないまま遍路旅をはじめたという点で、当時の黒咲さんの方がいまの私よりもずっと自分を追い込んでいたと思いますが、それでも作品のなかで黒咲さんが描いたさまざまなエピソードや心理描写は自分の体験につながるところもあり、実感が伝わってきました。
長い前振りで恐縮ですが、朝食を終えた私を外のベンチから手招きしてくれたおじさんは、こんな経歴を持った黒咲さんでした。黒咲さんはいま70歳だそうですから、「55歳の地図」は15年前の体験談です。
「漫画は売れませんねー。単行本はまだしも、雑誌がガタ落ちですから、漫画家は大変ですよ」ー。こう笑いながら話してくれた黒咲さんは、よく日焼けして健康的な印象で、とても70歳に見えません。「足摺岬近くの善根宿を閉めることになって、どうしようかと思っていたら、私のことを聞いた民宿のおかみさんが『手伝ってくれないか』と誘ってくれて。建物やドアを修理したり、花壇をつくったりしていたら、あっという間に数カ月経っちゃいましたよ。帰るところもないから、気楽なんです」と、近況を説明してくれました。
「いまの私にとって『55歳の地図』はどこか重なる部分があります」と話すと、黒咲さんは「55歳。そうですか」とつぶやいて少し間を置き、「これから、まだいろいろできる年齢ですよ」とさりげなく励ましてくれました。「55歳の地図」の主人公そのままに、言葉の端々に優しさがにじむような話しぶりでした。
朝の日差しを浴びながらベンチでのんびり歓談していると、流暢な日本語を話す台湾人のフアンさんがやってきました。アトピー性皮膚炎の治療で土佐清水市にある病院で療養するため、この民宿に10日間ほど滞在していたそうです。「最近、若い女の子を見てない気がするなあ」「このあたりに若い女の子はいるんですかね」「10人くらいはいる。でも、そのくらいだから、意識的に見つけようと思わないと、一週間くらい若い女の子をみないままになっちゃう(笑)」「それじゃあ、漫画のキャラ作りにも影響しそうですね(笑)」ー。こんな他愛のない会話を3人でとりとめもなく続けているうち、おかみさんがやってきました。フアンさんはこの日にチェックアウトして台湾に帰るので、おかみさんが買い物がてら中村駅まで送ることになっており、ついでに四万十川の沈下橋にも案内するとのことでした。「一緒に乗っていけば」とお誘いいただき、私も便乗させていただくことになりました。
「おかみさんに絵を預けているから、好きなやつを1枚持っていってよ」。帰り際、黒咲さんがうれしい言葉をかけてくれました。西遊記をモチーフに、歩き遍路の装束を身にまとったかわいい女の子が三蔵法師役となっているイラストが気に入り、ありがたく頂戴することにしました。タイトルは「Go! West」。3月初めに東京で開いた展示会で一番人気だったというシリーズ作品の原画のひとつです。千葉県の自宅に帰ってからきちんと額装させていただき、自宅に飾っています。
中村駅に向かう車中でも、おかみさんやフアンさんと話が弾みました。「民宿をやっているとね、ときどき行くあてのないひとがやってくるんよ」。ハンドルをにぎりながら、おかみさんが語りだしたのは、福島からやってきた30歳の男性のエピソードでした。この男性は、職場でうまく行かず、四国遍路にやってきたそうです。しばらく民宿に滞在するうちに、この土地が気に入り、つい最近、林業関連の仕事がみつかってこちらでアパートを借りて暮らし始めたそうです。高知では移住してきて農業や林業に就業するひとを市町村が支援していて、おかみさんをはじめ町のひとたちが行政の窓口と相談しながら男性の仕事を探したということでした。
「30歳なら、これから結婚して、しっかり生きていかないと。そのためには自分でちゃんと稼がないとね」。淡々とした口調で続くおかみさんの話に、私は強い印象を受けました。行くあてのないままたどり着いたひとをしばらく滞在させ、地元のひとたちが協力しながら親身に職探しまでやってあげる。これほどの優しさは、都会で暮らす私の感覚では、ちょっと信じがたいものです。私は以前に宇和島から卯之町に続く歯長峠で「雨に降られて困っているお遍路さんがいるかもしれないから」という理由で貴重な休日に遍路道を自家用車で走っている男性に助けていただいたことがあります(参照「お接待の奥深さに触れた雨の峠道」)。あのときもお遍路さんに対する四国の人たちの優しさに驚きましたが、この日のおかみさんの話も大きなインパクトがありました。
何年間も管理人をやってきた善根宿が閉鎖され、住む場所がなくなった黒咲さんは、住み込みの仕事と漫画を書く作業部屋の提供を受け、3月初めには東京で無事に作品展を開くことができました。これも地元のひとたちが引き起こす「優しさの連鎖」とでもいうようなものが黒咲さんの背中を押したようにも思えます。遍路道の周囲にいる人たちは、なぜこれほどまでに他人に優しくすることができるのでしょうかー。台湾で日系物流会社の管理職を務めるフアンさんは「ここは特別なんでしょうか。こういう優しさを感じることは、少なくとも台湾ではないですね」と落ち着いた口調で話していました。
足摺岬に続く遍路道の最奥部には、こうした独特の性格を持つ空間がいまも実在しているようです。思い浮かぶ言葉は、アジールでしょうか。そこに逃げ込んだひとは外部の権力から保護される特別な聖地空間です。アジールはフランス語で、英語ではアサイラム。避難所と訳すこともあります。例えば、高野山はアジール的な性格を持っていたと言われます。源氏に破れた平氏の縁者が逃げ込んだり、関ヶ原で破れた真田幸村が一時隠棲したことでも知られています。
四国遍路の道筋もまた、ストレスの多い現代社会に暮らす人々が何かの事情があって不適合を起こしたとき、一時的にせよ、その人々の避難場所になることができる聖地空間なのかもしれません。四国霊場の納経所にいくと、「探し人には協力できません」といった注意書きを目にすることがあります。聖地空間に逃げ込んできたひとたちを保護しようという意識は、四国の遍路道で長い時間をかけて育まれ、いまも受け継がれている暗黙の了解のようにも思えます。
四国の聖地空間が持つこうした特質は、なぜひとはお遍路をやりたくなるのか、という疑問に対するひとつの答えにもつながります。私自身が歩き遍路を体験して実感できたことは、個人主義の現代の中、孤立しがちな状況に生きる人々は、ひとに優しくされ、同時にひとに優しくできる自分に気づくことによって、「世の中それほど悪くないな」とか、「自分もそれほど悪いやつじゃないな」といった自己確認や自己肯定ができるようになる、ということです。遍路研究の第一人者である宗教学者の星野英紀は、巡礼について「神々の在所を巡って、人間の在所に戻る。そして『自分の足元は他ならぬここだ』と確認する。巡礼は『一種の自己確認の手続きであると同時に、自分の在所を納得するための手続き』なのである」と述べています。
そんなことを考えるうちに、おかみさんが運転する自動車は、四万十川にかかる佐田沈下橋に着きました。心地よい風が吹いています。川岸の木々は少しずつ芽吹いてきていて、春の到来を感じさせてくれます。この日の四万十川は水量がやや少なく、穏やかな表情でした。
中村駅から特急列車に乗り、高知駅で乗り継いで瀬戸大橋を渡り、午後3時40分には岡山駅に着きました。ここでフアンさんと握手を交わして別れ、私は東京行の新幹線に乗りました。最果ての足摺岬を目指して「修業の道場」として知られる土佐高知の遍路道を歩いた11日間。忘れがたい道のりとなりました。
[歩いた日」2019.3.18
[天気] 晴れ
[コース]民宿大岐の浜ー(おかみさんの送迎)ー佐田沈下橋ー中村駅ー高知駅ー岡山駅ー東京駅ー自宅
[歩いた距離] 乗り物を乗り継いだだけ