桜遍路(1)大岐海岸から再び歩き出す

 区切り打ちで続けてきた私の歩き遍路は、2019年3月、足摺岬から打ち戻り、大岐海岸にたどり着いたところで止まっていました。1年後には再開するつもりでしたが、新型コロナウイルスの感染拡大で断念。3月21日に首都圏の緊急事態宣言が解除され、ちょうど年度末でたまっている有給休暇もあったので、2年ぶりに歩き遍路を再開することにしました。

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 千葉県に住む私が歩き遍路に行こうとすると、四国に移動するだけでほぼ丸一日かかってしまいます。とりわけ、大岐海岸は遠い。3月25日午前5時20分に自宅を出発。羽田空港から高知龍馬空港に飛び、JR高知駅から特急「あしずり1号」に乗り継いで、JR中村駅を13時39分に発車する足摺岬行きのバスに乗ることができました。

 バスの車内には、地元のおかみさんのほかには、私を含めてお遍路さんが4人だけ。夫婦らしき男女と、60代くらいの女性、そして58歳の私でした。「トイレは、大丈夫ですか。足摺岬まで2時間かかります」と、バスの運転士さんが世話を焼いてくれます。発車時間の間際になって、女性のお遍路さんが「やっぱり行きます」と、トイレをご所望になりました。運転手さんは嫌な顔などまったく見せずに「ゆっくり行ってきてください」と声を掛け、すかさず地元のおかみさんがトイレの場所を教えていました。

 なんてことのないバス車内のやりとりなのですが、これを聞いていて、私はとてもほっとしました。コロナ禍で一時は多くの札所で納経所が閉められ、お遍路さんが「ばい菌扱いされた」というSNSの投稿も目にしていましたので、正直なところ、今回の歩き遍路の再開には、少しばかり不安もあったのです。地元のみなさんにとって迷惑にならないかどうか、四国の知り合いに相談したり、自治体のウェブサイトを見たりしていました。

 でも、運転士さんと地元のおかみさんも、コロナ禍の前と変わらない優しい笑顔を浮かべていました。ここは何百年も前から、地元の皆さんに支えられながら、お遍路さんが行き交う遍路道。みなさんのおかげで、私も気持ちよく歩き遍路を再開できそうです。

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 40分ほどバスに揺られ、和田分岐のバス停で下車。運転士さんに「歩きですか、お気を付けて」と一声かけられ、ザックを背負って歩き始めした。目指しているのは、大岐海岸の南西側にある、小さな川が海に注ぎ込む河口です。ここは人工的な治水工事があまり行われてい自然な地形が残されていて、川を流れてきた淡水が、砂浜のあちこちで波とぶつかりながら、海に流れ込んでいきます。川の水が海水と混じり合うところに、細かいさざ波が生まれ、そこに太陽の光が差し込むと、きらきらと光る水玉があちこちではじけるような、透明感のある景色が現れます。春の海ならではの雰囲気なのかもしれません。

小川の流れが自然のままの浜辺に広がり、海の波と出会う。波が引くと、静かな鏡面になる

 2年前に足摺岬から歩いて戻ってきたとき、私はこの景色がとても気に入り、今回はここから歩き遍路を再開したいと思っていました。この日、しばらく潮騒を聞きながら、ぼーっと海を眺めていると…。高知空港に着いたときには小雨まじりだった空模様は、だんだん明るくなり、雲の切れ目から青空が見えてきました。

 大岐海岸は、砂浜がそのまま古来の遍路道となっている珍しいところです。波打ち際を歩くと、後ろに残った自分の足跡がすぐに波に洗われ、そのまま消えてゆく。そんな旅情あふれる遍路道は、ちょっとほかにないでしょう。

砂浜の遍路道を歩き始めると、タカラガイがあちこちでみつかった

 時刻はすでに午後3時過ぎ。砂浜を歩き始めたところで、きれいなタカラガイをみつけました。暖かな南の海で育つ貝ですから、黒潮に運ばれてきたのでしょう。前日に天気が荒れていたので、よくみると、タカラガイがいくつも打ち上げられていました。

 それから30分ほど散歩気分で歩き、お宿の民宿「大岐の浜」に着きました。

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 民宿「大岐の浜」は、元々は自動車学校の宿泊施設だった建物をおかみさんが受け継ぎ、民宿として経営しているお宿です。この日の宿泊客は5人。60歳前後のご夫婦と、一人で歩き遍路をやっている男性が3人でした。前週は、一週間で2人しか宿泊客がいなかったそうです。4日前に緊急事態宣言が解除され、歩き遍路が少しずつ増えてきたということで、この日の夕食には、おかみさんが市場で仕入れてきた新鮮なかつおで自家製のたたきを作り、歓迎してくれました。たたきは一人では作れないので、宿泊客もお手伝いします。

 夕食の時間になると、宿泊客が民宿の玄関先に集合。コンクリートブロックを組み合わせて即席の炉を作り、宿泊客がわらをたき付け、おかみさんが焼き網に載せたかつおを素早く火に掛ける、という役割分担でした。わらは火を付けると、一気に大きな炎が上がります。その瞬間を逃さず、火加減を判断しながら、表面にさっと火を通すと、あっという間にたたきができあがりました。

 たっぷりの香味野菜と一緒にいただいた新鮮なかつおのたたきは、しっかりと弾力があって、とてもおいしい。ビールとの相性も抜群でした。

 コロナ禍の下、予想通り遍路宿は大打撃を受けていました。おかみさんは「この1年間は大変でしたよ。海外からのお客さんもまったくいなくなってしまって」と話してくれました。以前は春の遍路シーズンにはスタッフを雇っていましたが、いまはおかみさんが一人で切り盛りしているそうです。2年前に宿泊したときにお会いした漫画家の黒咲一人さんは、前年11月に出ていかれたとのことで、作品をいただいたお礼を伝えることはできませんでした。

 個人的なことですが、2年前に歩き遍路でやってきたときは、大学を出てから30数年間にわたって勤めた会社を早期退職し、55歳で初めて転職活動を経験したばかりのタイミングでした。2人の子供たちが社会人になったこともあり、肩の荷が下りた気分だったことを覚えています。あのときは高知市内の第31番札所・竹林寺から10日間歩き続けて足摺岬にたどり着き、そこから打ち戻ってここでいったん区切りにしたのでした。

 その後、自宅に帰って4月から新しい職場で仕事を始めました。幸いなことに自分のこれまでのキャリアを生かすことができ、予想以上に充実した新生活を送ることができています。昨年春には予定していた歩き遍路をコロナ禍のために取りやめ、中途半端な気持ちを持ち続けていたのですが、やっと再開させることができました。本当にありがたいと思います。

 3月下旬の高知は、桜の季節。今年は少し早めにつぼみがほころんだそうです。マスクと一緒に、桜遍路をスタートすることにしました。

[歩いた日]2021.3.25
[天気] 曇りときどき晴れ
[コース]自宅(千葉県船橋市)-羽田空港-高知龍馬空港-JR高知駅-JR中村駅-和田分岐バス停-大岐海岸-民宿「大岐の浜」
[歩いた距離] 7.3km  10,617歩

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